”最終面接落ち”を克服し1年弱で新天地へ


建設資材の野原ホールディングスに転職を果たした森田繁雄さん(撮影:佐々木仁)
建設資材の野原ホールディングスに転職を果たした森田繁雄さん(撮影:佐々木仁)

再雇用まで今の会社で働くのか、それとも転職や独立で別の道を選ぶのか。人生100年時代、「次の50年」を考える30~50代が増えている。

2022年秋、27年勤めた会社から52歳で異業種に転職し、セカンドキャリアを歩み始めたミドル世代がいる。建設資材・野原ホールディングスの森田繁雄さん。約半年間で140社超にエントリーし、4社から内定を得た。最終面接落ちの悔しさをバネに、弱点を克服し内定を勝ち取った森田さんの転職ストーリーとは。


想定外だった子どもの大学院進学


関東に住む森田さんは新卒で広告代理店に入社した。その会社が入社後約1年半で解散し、27年前に教育関連の会社へと転職。直近10年は広報担当として、会社のブランディングやメディア対応を務めた。転職する時は部長代理のポジションだった。

森田さんが転職を決めたきっかけは大きく2つ。1つは大学2年生の息子が大学院への進学を希望したことだ。大学までの費用は貯金していたが、大学院は想定外で、その費用を改めて稼ぐ必要があった。もう1つは今の会社での「やり切った感」。このままの流れで働いていくより、新しいチャレンジがしたいと森田さんは考えた。

「転職を考えているんだけど」。2021年の秋、妻と息子にこう切り出した。反対されるかもと思っていたが、2人とも「そうなんだ、やってみたら」とあっさり背中を押してくれた。自分のセカンドキャリアについて普段から妻と話していたため、それほど驚かれなかったのかもしれないと森田さんは振り返る。

2021年12月27日、仕事納めの日。森田さんは転職サイト3つに登録した。自分に何ができて何ができないか3週間ほどかけてスキルの棚卸しをした後、2022年1月下旬から本格的に転職活動をスタートした。

「広報という職種にはこだわるが業界は問わない」と決め、報酬は今より1~2割アップを条件にした。広報として企業ブランディングの実績があることを売りに、ベンチャーから上場会社まで70社ほどエントリーし、スカウトも受けた。

森田さんは、決算などを説明するIR広報の経験はない。「自分のできること、できないことを明確にしておいたので、IRに関連するスカウトが来ても迷わず対応できた」という。

環境関連会社など4社の最終面接まで進んだが、採用には至らなかった。年齢で競り負けたと感じた会社、役員陣と考え方が一致しない会社など、理由はさまざまだったという。

「思っていたよりスムーズに最終まで進み、面接での感触も悪くなかっただけにショックでした。そう簡単なものではなかった」(森田さん)。仕切り直し、敗因の分析に取り掛かった。


(撮影:佐々木仁)
(撮影:佐々木仁)

なぜ最終面接で落ちてしまうのかを研究、そして…


「書類と1次面接は通るけれど、最終で通らない何かがある」と気付いた森田さん。3月から1カ月半、最終面接のコツをまとめたサイトや動画を徹底的に見た。転職エージェントにも面談の様子を伝え「ダメなところがないか言ってほしい」と頼んだ。

自分の弱点を分析する中で、森田さんはあることに気付く。「私は割と淡々と話すタイプです。面接官には落ち着いた印象に映ると考えていましたが、逆に暗い印象を与えていると気付いたんです」

コロナ禍で増えたオンライン面接は、対面より相手の反応が読み取りにくい。森田さんは声をワントーン上げ、身ぶり手ぶりをオーバーに、うなずきもこれまでの倍ぐらい大きくした。

「広報という仕事柄、オーバーアクションは得意なんです。メディアの人は忙しいから最初の3分で面白くないと思ったら聞いてくれないので。面接でも仕事の顔を出してもいいんだと思うと気が楽になりました」(森田さん)

この方法で面接に臨むと、面接官の反応も変わり手ごたえを感じた。5月上旬から再び転職活動を始め、新たに70社ほどエントリーした。書類は十数社を通過し、最終面談に7社進み、4社から内定を勝ち取った。


レンタルオフィスなどの個室で面接


働きながらの転職活動は時間の確保が大変そうだ。森田さんはどんな時間術で臨んだのだろうか。

「実際、大変でした。オンライン面接はテレワークの日の昼休みに入れることが多かったです。最終面接では社長や役員が対応するため、スケジュール調整が難しくなりました」

出社日に面接が重なった日は、昼休みに会社周辺のレンタルオフィスを借りた。空きがない日はカラオケボックスや漫画喫茶の個室を使った。

企業研究にも注力した。業界動向を踏まえた上で、会社サイトをくまなく確認。森田さんは「特にリリース情報は会社が力を入れていることが分かるのでチェックしました」と話す。企業ごとにペーパーにまとめて面接の時に手元に置いた。どの話の時に何を話すかも考えたという。

面接ではどんなことを聞かれたのだろう。森田さんの場合、1次面接は経験やスキルの確認が多かったという。一方で、2次や最終面接では自分のスキルで会社にどんな貢献ができるかという質問が目立った。「経験からこういう貢献ができると考えている。これをやらせてほしい、実現したい、という表現をよく使いました」(森田さん)

年功序列をやめ新人事制度に着手するなど、組織改革を進める野原ホールディングスは、新しいことを始めたいという森田さんの価値観と一致した。野原ホールディングスの最終面接では、会社のブランド戦略への考えを役員の前でプレゼンした。

「面接では自分ができることを話す自己アピールの場になりがちですが、どんなことを話せば興味を持ってもらい、質問をたくさんしてもらえるか意識して話すのがポイントかもしれません。会話と同じで面接もキャッチボールだと気付きました」


最後は「ぜひ来てほしい」が決め手に


ただ、森田さんは「内定した会社の中で、最後まで迷った会社がもう1つありました」と打ち明ける。条件や待遇が他の会社よりも良かったという。

しかし最終的に森田さんは野原ホールディングスを選んだ。決定打は何だったのだろう。

それは内定後、待遇など細かい条件を決める面談の場だった。直属の上司や人事担当者たちがそろい、長く広報パーソンとして働いてきた森田さんがどうしても必要だと熱く語ってくれた。その上で「ぜひ来てほしい」と言ってくれたという。

自分のキャリアを認められ、必要とされている。「これ以上のメッセージはない」と感じた森田さんはこの日、入社を決めた。


(撮影:佐々木仁)
(撮影:佐々木仁)

入社1カ月でブランディングの戦略案を作成し、仕事を進めている。働き始めて数カ月たつが業務内容や方向性など入社ギャップは少ないという。年収も1割ほどアップする見込みだ。

森田さんにミドル世代が身軽に転職するために日常でやっておいたほうがいいことを聞いてみた。「『自分はつぶしが利かない』という声を聞きますが、定期的にスキルの棚卸しをすればできることは見つかると思います。目の前の仕事から逃げないことも大事です」

自身の転職活動には最後まで不安はあったが、仕事や遊びで『やってみたら面白かった』と言えた若い時の感覚を取り戻したかったと話す森田さん。エクササイズで体も絞り、新たな道を軽やかに歩み始めた。そんな森田さんの軌跡には、今後のキャリアを考える多くの会社員の参考になる点が少なくないのではないだろうか。

【国分 瑠衣子 : ライター】