将棋の名人獲得経験者で、「ひふみん」の愛称で親しまれていた加藤一二三(かとう・ひふみ)さんが22日(木)午前3時15分、都内の病院で、肺炎のため亡くなった。86歳だった。同日、所属事務所が発表した。
過去に何度も対戦し、名勝負を繰り広げてきた羽生善治九段(55)が同日、自身のXを更新。「加藤一二三先生の御帰天の報に接し、心から哀悼の意を表します。加藤先生と出会えたことを神に感謝致します。どうぞ安らかに憩われますよう 心よりお祈り申し上げます」としのんだ。
続けて「加藤一二三先生とは子供の頃から沢山の思い出があります。結婚の際には妻がカトリック信者であることを大層喜んで頂きルルドの貴重な御聖水や妻の洗礼名である小さき花のテレジアのおメダイを頂戴したり、子供達の初聖体にもご参列頂きご夫妻で祝福してくださいました」と記述。
「国民栄誉賞や永世七冠獲得時には私以上に喜んでくださって、超特急の早口で将棋の話、キリスト教の話を交えお祝いして下さったあの日の笑顔が鮮やかに目に浮かんできます。五十代からの棋士の道のお話をもう伺えないことが残念です。折々に祝福・心配・応援のお言葉をかけてくださる優しく温かいお人柄、将棋への愛に溢れた偉大な大先輩でした」と残念がった。
加藤さんとの数々の名勝負では、89年のNHK杯将棋トーナメントの2回戦で繰り出した「伝説の5二銀」が今でも語り草となっている。
先手が羽生、後手が加藤さん。戦型は「角換わり」で羽生が中盤で指した「5二銀」が絶妙手。指された瞬間、解説者の米長邦雄さんは「おおおー! やった! すごい手だ」と驚きの声を上げた。羽生は加藤を倒し、その後、史上最年少で優勝。加藤さんの他、大山康晴十五世名人、谷川浩司名人(当時)、中原誠棋聖(当時)といった歴代名人を連破しての快挙だった。
加藤さんの家族によると、加藤さんは24年正月すぎあたりから体調を崩し、入退院を繰り返していた。同年11月の詰め将棋掲載連続回数のギネス認定式、25年5月の棋王戦50周年記念祝賀会に出席した際には車いす姿だった。
加藤さんは1940年(昭15)、福岡県生まれ。54年8月、14歳7カ月で初の中学生棋士としてデビューした。この最年少記録は、16年10月、14歳2カ月でデビューした藤井聡太(肩書)に更新されるまで、62年間破られなかった。
棋士生活63年で通算1324勝1180敗。戦前生まれの名人経験者として最後の存命者であり、50年代から00年代まで、各年代で唯一A級に在籍した棋士でもある。

