11年に就任した理事長の仕事も本年度で退職する予定です。オリンピック(五輪)開催が決まったときから東京五輪が自分の花道だと思っていました。延期が決まったのは残念ですが、選手たちが万全で戦える準備をしていき後任につなげたいと思います。

新型コロナウイルスの影響で、五輪代表を争う選手たちも一時は満足に練習ができない状況でした。選手には来夏に向けて技術を向上できるチャンスだと呼び掛けてきました。現在は競技会への参加や屋外会場で練習を重ね、来年3月の代表最終選考会に合わせて準備ができているようです。

アーチェリーとの出合いは、大学卒業後に教諭として採用された埼玉・大宮開成高です。当時の校長から促され、部活動の顧問になりました。それまで競技経験はなく、弓具すら触ったことがありませんでした。地元協会の方に教わりに行き、競技の基礎から学びました。部を強豪校に押し上げ、全国制覇も経験しました。

顧問をしていた時、五輪を意識する大きな出会いがありました。メダリストの山本博さんが体育教諭として赴任し、同僚になったのです。当時山本さんは84年ロサンゼルス大会で銅メダルを獲得。もっと上のメダルを目指して練習に打ち込んでいました。

全体練習を参加した後、1人残って黙々と個人練習していたのを覚えています。雨の日でも平常心で臨めるよう、じょうろを持った部員に水を掛けられながら矢を放つ姿を見たことがあります。

なぜそこまでやるのかと尋ねると、山本さんは「アーチェリーは僕の全て。生涯向き合うスポーツなんです」と胸を張っていました。努力を怠らないトップ選手の姿勢を間近で見ていたので、04年アテネ大会の銀メダルは自分のことのようにうれしかったです。

理事長に就任した翌年の12年ロンドン大会では、男子個人で古川高晴が銀メダル、女子団体で銅メダルを取りました。テレビや新聞で報じられ、オリンピックでメダルを獲得すると競技への注目度がより一層増すのだと実感しました。

ロンドン大会以来のメダルを目指し強豪韓国からコーチを招いた他、東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)での強化合宿をしてきました。選手に刺激を受け、アーチェリーを楽しむ裾野が広がってくれたらうれしいです。(316人目)