瀬戸勇次郎、19歳。視覚障害者柔道の男子66キロ級に現れた逸材だ。健常者の柔道から転じて1年8カ月で、現在福岡教大の2年生。パラリンピック3連覇、5大会出場の藤本聡(43)に昨年12月、今年3月と連勝し、日本代表にも名を連ねた。元号が改まる5月には初めての海外遠征に出る。目指すのはレジェンドとの争いを制しての20年東京大会出場。切れ味鋭い一本背負いで「令和の三四郎」になるための戦いが始まる。

■東京パラリンピック出場目指す

色白でキリッと引き締まった表情。若武者然とした瀬戸が自信をのぞかせる。「海外勢のレベルがどのくらいかは分かりませんが、それなりに戦っていけるのでは、と思っています」。5月にアゼルバイジャンで行われるグランプリ大会が初の海外遠征。19歳が東京への道を歩み始める。

昨年12月の全日本で一気に耳目を集めた。準決勝でリオ・パラリンピック60キロ級銀メダルの広瀬誠に裏投げで快勝。決勝では藤本を小外刈りからの横四方固めで破った。この優勝で日本代表入りし、今年3月の東京国際では外国人選手に連続一本で決勝進出。再び藤本と顔を合わせ、延長の末に足技を隅落としで返して一本勝ちした。パラリンピックで金3つ、計5つのメダルを誇るレジェンドに連敗から連勝で肩を並べた。

「今の状況は『棚からぼた餅』って感じですかね」と瀬戸は屈託なく笑う。福岡・修猷館高までは健常者の大会に出場していたが、個人戦ではまったく勝てなかった。中学の3年間は1勝のみ。高校でも県大会の経験すらない。柔道を続けるつもりもなかった。しかし新聞に載った記事が関係者の目にとまり、すべてが変わった。

先天性の弱視の影響もあって組み手争いが苦手だった。視覚障害柔道は、お互いに組み合ってから試合が始まる。弱点は払拭(ふっしょく)された。常に組み合って戦うことからパワー不足を痛感し、上体の筋力アップ、重心を低く保つために足腰の強化にも取り組んだ。福岡教大進学後は、重量級選手とも稽古を重ねた。得意の一本背負いに加え、背負い投げ、大外刈り、体落としと投げ技の種類と切れを短期間で増やし、強くなった。

「高校までは自分が柔道部にいることも認知されていなかった。今は勝てるようになって、みんな応援してくれますから」。勝利が瀬戸のエネルギーになる。絶対王者・藤本の存在から転向当初は考えていなかった東京も、明確に意識するようになった。66キロ級は2人のマッチレース。来春までの3つの国際大会でより上位の成績を残した方が、メダル候補として日本武道館の畳に上がる。瀬戸は「まず、20年に出ることが目標。遠慮するつもりはありません」。視覚障害者柔道に「令和の三四郎」が誕生するかもしれない。【小堀泰男】

◆瀬戸勇次郎(せと・ゆうじろう)2000年(平12)1月27日、福岡県糸島市生まれ。先天的に色覚に異常があり、視力は右0・07、左0・05。4歳から柔道を始め、市立前原小時代はスポーツ少年団に、同前原西中、県立修猷館高では柔道部に在籍し、健常者の大会に出場していた。高校3年の夏に視覚障害者柔道に転向。教職を目指して18年4月に福岡教大に進学し、現在、特別支援教育教員養成課程中等教育部2年生。身長169センチ。初段。

<レジェンドも前向き>

藤本は国内に強力なライバルが台頭したことを前向きにとらえている。「瀬戸君は短期間で強くなっている。でも、彼がいることで自分も一緒にもっと強くなれると思う」。17年の全日本、昨年6月の国際大会派遣選考会では勝ったが、その後に連敗。東京大会出場へ大きなポイントがかかった昨年11月の世界選手権は2回戦で敗れており、瀬戸とはほぼ互角の状況から代表を争うことになる。

04年アテネでパラリンピック3連覇を果たし、08年北京で銀、16年リオでは銅メダルを手にした。四半世紀にわたって、世界のトップに君臨してきたレジェンドは、東京での金メダルを最後に引退することを明言している。「引退まであと1年ちょっと。1日も無駄にしないで、精進していきたい」。瀬戸を制して6大会目の出場を果たし、有終の美を飾る。

◆20年東京パラリンピック柔道競技 視覚障害者を対象に男子7階級、女子6階級の個人戦が行われ、障害の程度によるクラス分けはない。出場は1階級につき8~10人が見込まれ、日本は男女全階級に開催国枠1を獲得している。出場権は国際視覚障害者スポーツ連盟(IBSA)が主催する昨年11月の世界選手権から来春までの国際大会の成績によるポイントランキングで争われる。日本選手も世界選手権以降の4つの国際大会で最もいい成績を残した選手が各階級で代表に選ばれる。