パリ五輪で、戦いの裏側や勝敗を超えた選手の生きざまなどを現地から伝えてきた日刊スポーツ取材班が、心に残る出来事を「取材ノートから~パリ五輪編」と題してつづります。
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陸上男子1600メートルリレーの日本代表チームは、20年ぶりに決勝へ進出し、アジア新記録の2分58秒33で6位入賞を収めた。予選、決勝でともに“マイル侍”の2走を務めた川端魁人(26=中京大クラブ)は“元中学教師”のロングスプリンター。予選突破後の取材エリアでは、ほほ笑みながら泣いていた。「厳しい道になると思ったが、今しかできない夢を追ってきた。苦しいこともあった。でもそれは、今日のためだった」。
社会人1年目の21年は、地元・三重県内の中学校で保健体育の教師をしながら競技を続けていた。その年の東京五輪は2走を務めたが、予選全体10位。チーム全体で力及ばず、決勝進出を逃した。「決勝とメダルを諦められない」。悔しさが胸に残り、1年限りで退職。2度目の五輪=パリを目指すと決めた時、教え子たちへ伝えた。「夢を追いかける姿を見てほしい」。
中京大でコーチ業を務めながら練習を重ね、22年は世界選手権に出場。しかし23年は代表入りできなかった。その間に400メートルでは、パリでともに走ることになる中島、佐藤風、佐藤拳が日本歴代5位までに名を連ねるほどになっていた。あと1人そろえば、1600メートルリレーで-。川端も世間の声を自覚していた。「メダル獲得のためには俺がキーだな」。
この冬はバイクトレーニングをメインに「吐くような練習をした」。体重の75%の負荷をかけ、全力で7秒こぐ。30秒休み、再び全力でこぐ。これを10本繰り返すメニューを、ひたすらこなした。「練習を増やすことに賛否がある時代だとは思いますが、結局は詰め込んだもん勝ち」。
吐くほどの練習で高めた筋肉の持久力は、パリの予選で生きた。1走の中島から2位でバトンを受け、前半から飛ばした。後半も粘り、順位は1つ落としたものの、各国の強者がそろう2走で組4番目と奮闘。3年前は届かなかった決勝のトラックに進んだ。今、教え子たちへ伝えたいメッセージがある。「どんなことでもいい。勉強でも趣味でもいい。何か自分が夢中になれるものを見つけて、そこに打ち込むことに意味はある」。
川端が身をもって証明した。【藤塚大輔】



