日本人の身体能力は欧米人に劣るという固定観念が砕かれた。大男たちを置き去りにする萩野公介の泳ぎを見たからだ。男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した翌日、200メートル自由形でも準決勝を全体の2位で突破した。体格と馬力勝負の種目で日本人が世界トップをうかがうなど、以前の私には想像もできなかった。

 サッカー担当時代、日本の指導者たちから「海外勢には個の力では勝てない」という言葉を何度も聞いた。世界を相手にすると、規律や連動といった「日本らしさ」に固執した戦い方に徹し、1対1の局面を回避した。今思うと、たいした科学的な根拠もなく、自分たちで海外との境目を決めていたのかもしれない。

 この日本人の劣等感に異議を唱えた欧米人を思い出した。サッカー02年W杯で日本代表監督を務めたフィリップ・トルシエ氏である。彼は「身体能力が海外より劣るというのは偏見だ」と主張し続けた。W杯の2年前、母国フランスから専門家チームを呼んで日本選手のデータを採取した。その数値は欧州のトップ選手と比較しても遜色なかった。

 同氏のアシスタント兼通訳を務めたフローラン・ダバディ氏からこんな話を聞いたことがある。「90年代、世界最高峰のNHL(北米のプロアイスホッケーリーグ)にはアジア系の選手が多かった。日系人もいた。身体能力も高かった。強い体は栄養とトレーニング次第でつくれる。つまり環境なんです。それを日本人は分かっていない」。

 テニスの錦織圭の活躍が、その話を裏付けた。日本人の体力では実現不可能と言われた「世界トップ10」の壁をいとも簡単に超えた。彼は13歳から米国に拠点を据えて、成長してきた。細くもろかった肉体は米国という環境で世界仕様に激変したのである。徹底したフィットネス強化で優勝候補の南アフリカをなぎ倒した、ラグビーW杯のエディー・ジャパンもしかり。

 くしくも米国からはイチローの大リーグ3000本安打達成のニュースが入ってきた。その強い心と体の伝説に米国人も敬意を払う。渡米前の「日本人打者は果たして通用するのか」の議論が、今はこっけいに思える。【首藤正徳】