男子シングルスの3位決定戦で世界ランク7位の錦織圭(26=日清食品)が、同5位のラファエル・ナダル(スペイン)に6-2、6-7、6-3の2時間49分で勝ち、銅メダルを獲得した。日本勢のメダルは、20年アントワープ五輪で熊谷一弥が男子シングルスで銀、熊谷と柏尾誠一郎がダブルスで銀を獲得して以来96年ぶり。普段のツアーとは違い、賞金も世界ランクのポイントもない戦いで国を背負って6試合を戦い抜き、感慨に浸った。

 五輪のセンターコートで96年ぶりに日の丸が揚がった。重圧から解放された錦織は、柔らかな表情で日の丸を眺めていた。「自分の国のために戦うのは本当に楽しかった。素直にうれしい」。4大大会や通常のツアーとは異なった充実感に包まれていた。

 第1セットは圧倒し、第2セットの5-2までは狙い通りの試合展開だった。だが、96年分の歴史の重さが手足にまとわりつく。「メダルを意識してしまった。硬くなった」。過去1勝9敗のナダルに逆転を許し、最終セットに持ち込まれる。「何回も気持ちが折れそうになった。でも、これを乗り越えれば、また何か自分の力になると信じていた」。気迫負けすることなく攻め続けた。

 前日の準決勝でマリーに完敗し「『まだまだ何もできないんだ』としょぼんとした」。いつもなら負けた後はホテルにこもる。だが、負ければ終わりの4大大会やツアーにはない3位決定戦がある。滞在した選手村でスタッフと食事をし、ナダル対策の映像を一緒に見た。「3位決定戦の大きさ、大事さも感じていた」。疲労が蓄積した体と打ちひしがれた気持ちを奮い立たせた。

 五輪に賞金はない。今大会から世界ランクのポイントもつかなくなった。トップ10からフェデラーら半分の5人がケガなどを理由に欠場した。錦織も、5月の全仏オープン前、五輪を挟んで4連戦となることに「体力的に不安がある」と話していた。左脇腹痛も抱えていた。しかし「得るものは大きい。日本にいいニュースを届けたい。それが、全力でプレーするモチベーションになる」という思いが出場に突き動かした。

 1年前の15日はマスターズ・モントリオール大会準々決勝で、初めてナダルに勝った日だった。「限界に近い」と言うほどの激闘を終え、余韻に浸りたいが、3位決定戦の数時間後の深夜には次戦のマスターズ・シンシナティ大会に備えて米国に飛び立った。勝ち上がれば準々決勝で再びマリーと対戦する。29日には今季最後の4大大会、全米オープンが幕を開ける。

 ◆五輪のテニス

 第1回の1896年アテネ大会から実施された。日本勢は1920年アントワープ大会で男子シングルスの熊谷一弥、同ダブルスの熊谷、柏尾誠一郎組がいずれも銀メダルを獲得し、日本人選手初の五輪メダリストとなった。24年のパリ大会後、1度は実施競技から除外されたが、プロ選手への門戸開放に伴って88年ソウル大会で復帰した。04年アテネ大会では女子ダブルスの杉山愛、浅越しのぶ組が4強入りした。