96年ぶりの日の丸を背負った錦織圭が、きらきらとまぶしかった。

 恐るべき忍耐と集中力で、ついに強敵ナダルの心をくじいたのだ。体力や技術を超えた心の格闘に打ち勝った錦織には、何か特別な力が宿っているように見えた。過去1勝9敗。しかし、五輪では時として、こういう神懸かりが起きる。

 準々決勝進出を決めた時の錦織の言葉を思い出した。「燃えた。同じ日本人でかっこいい活躍をされると燃える」。試合前、会場のモニターで体操男子個人総合の内村航平の逆転優勝と、4強入りを決めたラグビー日本代表の戦いに奮い立ったという。五輪の持つ、目に見えない連鎖の力も血肉にしたのだ。賞金も、世界ランクへの加算もない。それでも、彼はここで間違いなく成長したはずだ。

 96年前、アントワープ五輪で銀メダルを獲得した熊谷一弥は資料によると左利きの名手。慶大でテニスにいそしみ、五輪当時は銀行の米国駐在員で、英語が堪能だったという。第1次世界大戦の2年後の快挙だった。当時日本は大正9年。大戦景気に沸き、大都市で百貨店が次々と開店した。日米関係もまだ比較的良好で、戦間期のつかの間の平和を享受した時代だった。

 錦織の勝利から数時間後、メインスタジアムで陸上男子100メートル決勝の号砲が鳴った。ウサイン・ボルトが美しくも力強い走りで、ドーピングの過去を持つライバルを突き放した。史上初の3連覇。人類とはこんなにもすごいのだと、見ていて誇らしくなる。観客は人種も国境も宗教もすべて忘れて、みんなが笑っていた。無数のフラッシュの光と色彩で、スタンド全体が笑っているように見えた。世界中の幸福を集めたようだった。

 終戦の日でもあった日本時間2016年8月15日。未明から五輪の力、スポーツの力のすさまじさに圧倒された。一方で、その祝福に満ちた感動を、世界中で共有できるという幸福に感謝した。71年前、誰がこの日の光景を予期できただろう。この景色がつくられた平和でないことを私は祈った。そして、96年後のこの日も、人類が今日と同じような景色を笑顔でながめていることを、心から願わずにはいられない。【首藤正徳】