鹿島GK櫛引政敏(23)は恩師から特別な思いを託されていた。青森山田高の黒田剛監督(46)は「青森市の高校なのに青森市からプロがいないのは寂しいので」と振り返る。冬は腰まで雪が積もる青森市出身。ハンディは大きかった。当時、同校出身のプロは全員が越境入学だった。

 青森市初のプロになるため、全面支援を受けた。19年連続選手権出場、来季の内定者も含めプロ29人を輩出する指揮官は、95年の監督就任以降、初めて1人の選手のためだけにコーチを呼んだ。「あいつのためなら、いくら金がかかっても育てたいとの気持ちだった」と回想する。

 それが流通経大柏で鳥栖の日本代表GK林らを育てた湯田哲生GKコーチ(42)だった。櫛引が2年の春。当時千葉県内に住んでいたが、1カ月のうち1週間だけ泊まり込みで青森まで来てもらい、専属指導を受けた。湯田コーチは「東北の人特有の気質なのか…ストイックさがなかった」。全体練習後は、いち早くグラウンドを後にしていた。何度も「成功するためには自分をコーチングできないと。お前ぐらいの選手はたくさんいる。差をつけないとだめだ」と諭された。1年の選手権では、鹿児島城西に4失点で初戦敗退し、黒田監督も「判断ミスばかり。ポカも多かった」。だが2年時の選手権は準優勝。二人三脚で成長し、プロから初めて声が掛かった。

 恩師の支えでプロになった。鹿島MF柴崎とは青森山田の同期。早生まれのため、櫛引だけ五輪出場の資格を得た。オフ期間には決まって母校に行く。次は五輪のメダルを手土産に、恩返ししたい。【上田悠太】

 ◆櫛引政敏(くしびき・まさとし)1993年(平5)1月29日、青森市生まれ。小学1年から千刈FCでサッカーを始め、小5からGK。青森山田中では全国中学校大会で2年時3位、3年時に準優勝。同高では全国高校選手権で2年時に準V、3年時は3回戦敗退。11年に清水に入団。16年に鹿島に移籍。1月の五輪アジア最終予選では6試合中5試合に出場。186センチ、82キロ。血液型A。