直径8・5センチ、重量500グラムのメダルは重かった-。重量挙げ女子48キロ級で12年ロンドン五輪銀メダルに輝いた三宅宏実(30=いちご)は、たび重なるケガや重圧とも闘ってきた。強まる期待、それに応えようとする責任感…。メダリストゆえの重圧とは? 三宅の練習メモ、言葉を頼りに、過度な重圧を背負う五輪選手の内面に迫った。

 三宅は、うそがつけない。14年のクリスマスに発症した腰痛を乗り越え、昨年11月の世界選手権で銅メダルを獲得。リオ五輪内定を決め、大みそかのNHK紅白歌合戦には用意された金色のドレスを着てゲスト出演した。2大会連続メダルの期待を感じる一方で、心には焦りが生まれ始めていた。

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 1月5日 この4年ずっと壁にぶちあたって、記録が伸びていない。でも、勝たねばならない。すべてはファーストトライで決まる。今までやってきたことを、その一瞬、1秒にかけます。

 五輪イヤーの練習は、伯父で東京、メキシコの重量挙げ金メダリスト義信氏が14年に福島県郡山市に開いた重量挙げ専門施設「三宅道場」でスタートさせた。壁に張られた日の丸、伯父、父、自分3人の栄光の写真に囲まれながら、本番のその瞬間をもう思い浮かべていた。

 5月22日 残り2カ月で失敗は許されないです。この大会を、リオへの通過点にしたかったのですが…

 上がりつつあった調子は暗転する。3月に右腓骨(ひこつ)を痛め、1カ月以上練習をやめざるを得ない状況に。そのまま全日本選手権に出場し、スナッチ75キロ、ジャーク90キロで、いずれも残り2回の試技を棄権。五輪までのプランが大きく揺らぐ。

 5月28日 正直、不安と焦りしかない。でも、4年に1回の場所で笑顔でいるために、不安とか言ってる場合じゃない。メダルは正直、忘れている。今はいうなればドン底の状態です。

 重量挙げ代表発表会見の場で、笑顔で気丈に現状を語った。そのすぐ後、トイレの前で世間話をしていると「ごめんなさい」と急に涙をこぼした。

 6月18日 心の痛み止めが欲しい。もうちょっと待っててください。

 都内のホテルで行われた協会主催の壮行会で金メダルの期待をかけられ、漏らした一言。1カ月後に予定されている最後の公開練習でいい姿を見せると約束した。

 7月8日 軽いときこそやらなくて良い。そして守りました! やめる勇気を! 

 本人の練習メモから。オーバーワークになりがちな三宅を、父である義行監督が止めていた。

 7月18日 ここまで来られたのが奇跡。この3カ月ずっと、左腰と左膝裏が正直、かがんだり、起き上がる時にぴーんと痛い。

 この日、約9カ月ぶりにジャークの110キロに挑んだ。肩に引き上げるクリーンまでしか成功しなかったが手応えに笑顔をみせた。

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 結局、「スナッチは85、ジャークは110以上」という目標数値に達しないままリオへ。さらに現地で腰の状態は悪化した。本番を4日後に控えた今月3日の公開練習では、スナッチ80キロ、ジャーク100キロと自己ベストから約10キロ軽いバーベルしか上げられなかった。競技人生で初めて痛み止めを打つという決断をし、4度目の五輪に臨む。「一発に賭ける」と三宅。上げるその一瞬にすべてをつぎこむ。

 ◆三宅宏実(みやけ・ひろみ)1985年(昭60)11月18日、埼玉・新座市生まれ。音大出身の母育代さんからピアノの英才教育を受けるが、00年シドニー五輪で初採用された女子重量挙げを見て、感動。新座二中3年で競技を始める。埼玉栄高3年時の03年に53キロ級で全日本選手権制覇。04年アテネ五輪9位、06年世界選手権銅メダル、08年北京五輪6位、12年ロンドン五輪銀メダル。プロ野球でバース(阪神)落合博満(ロッテ)が3冠王に輝いた年に生まれたため、うかんむりが3つ並ぶ「三宅宏実」と名付けられた。家族は両親、兄2人。伯父義信氏は64年東京、68年メキシコ金メダル、父義行氏はメキシコ五輪銅メダル。147センチ。