今回、日本の体操は見事な演技だった。予選でうまくいかなかった部分を修正して、決勝では金メダルを個人、団体ともに獲得した。さて、インタビューでも選手が口にしていた「修正」という言葉は、厳密に言えば何を意味する言葉なのか? 選手が競技場の外で行っている修正について書いてみたい。

 オリンピックのようにいくつも試合が重なる競技会では、試合の合間にどう修正をかけるかが重要になる。特にうまくいかなかった場合、その原因を絞りこみ解決しておく必要がある。

 例えば陸上の400メートル障害の予選で、後半にバタバタしてうまくハードルを跳べなかったとする。後半のバタバタの原因は何か、と考える。起きている現象と本当の原因は違うことが多い。スタートで小さい走りをしたことがそのまま残り、最後にバタバタした走りとして表れていることに気がつく。頭の中で、何度もゆったりと大きくスタートすることをイメージし、ウオームアップでそれを実践して、よし大丈夫だという気持ちでトラックに入る。これが問題解決タイプの修正だ。

 実はもう1つ修正がある。それは心の問題だ。準備は完璧だっただろうか、本番で失敗したらどうしようかなど、頭ではわかっていても心でつまずくことは多い。技術の修正はたやすいが、心の修正は難しい。

 心の修正で最も大切なことは、自らの姿を客観視し、距離をとることだ。「失敗しちゃいけない、失敗しちゃいけない」と心の中で繰り返している自分に対し、「どうして失敗しちゃいけないのか」と問いかける。そもそも失敗は避けられることなのだろうかと。

 そうして少しずつ客観視していけば、自分でコントロールできるものとできないものが、きちんと分けられるようになっていく。相手はコントロールできない。結果も時の運でコントロールできない。そうして結局、コントロールできるのは自分だけだということに気がつく。やるべきことをやって「あとは野となれ山となれ」というところまで行き着くと、大体震えも止まり、覚悟が決まっていく。修羅場での強さは「自分は自分にしかなれない」という諦念観に支えられている。

 いったい選手村で彼らはどう自分と向き合ったのか。少し時間がたってからでいいから、選手村で彼らは何を自分に問いかけたのかを語って欲しいと思う。【為末大】(ニッカンスポーツ五輪コラム「為末大学」)