坂本英一は少年時代から身近にいた神山雄一郎とともに、心身を鍛え抜いて現在も奮闘する。神山とは、片やダッシュ、片や強地足を武器に、一緒に転戦した日々がつい昨日のことのように思い浮かぶ。前編と中編では2人がランクを上げる道のりを記し、後編はその勢いに陰りが出た時期から振り返る。
神山よりひとあし先に、自在型からマーク屋へ転向した。そのノウハウは、神山がマーク屋としても極めるレジェンド中のレジェンドへ昇華する際に一役買った。
「オレは自力では通用しない。ただ、競輪が好き。生活もある。それで戦法を変えた。夢中で。雄一郎は自力勝負でも、マーク屋としても極めた。今までいたっ!? 競輪で勝ちたい、その一心なんだろうけど。グランドスラマーが、多くの人にマーク屋の考えや技術を聞いて回ったんだよ。オレなんかにも」。
神山は同じくグランドスラマーの井上茂徳や滝沢正光、新田祐大、脇本雄太でも会得してない、自力とマークの両面で頂点に立った。
その転機は05年6月ふるさとダービー弥彦になる。2予ではまくり追い込み2着も、後位を固めた地元阿部康雄は着外になった。「もう自力では駄目だ」と肩を落とした。当時は栃茨ラインの新鋭で、先行力を増す武田豊樹の存在も転向を決断させた。
ただ、マーク屋のこつをつかむまで時間を要した。何度か派手にさばいて相手を落車させ、失格もした。「本命だった予想の印が、今では○(対抗)になった」と、現状を自虐的に話すこともあった。
坂本は神山の苦悩を見た。同時にすごみを見た。神山は坂本のある走りが目に留まり、行動に移す。「オレが小松島から帰ったときかな、雄一郎が電話してきた。『あの準決勝はどんな感じで体を動かしました?』って。オレはさ、肩をこうやって動かす。そして相手に体を当てる。ブロックするって言った。逆もあった。『今回の僕のレース、3コーナーの入り口はどうしたら良かったです? 前を追うときに、目線はどこに置けばいいです?』とか。もちろん電話だけじゃ駄目だから、会った時に説明したり。そしたら、映像会社からオレのレース映像を取り寄せてまでして、走りをチェックしたと」。
何事にも懸命な神山のとある姿が忘れられない。それは、ともに帰郷する際のひとこま。「平(03年2月・東王座戦)から、オレの車で一緒に帰った時だよね。雄一郎は決勝で失格したんだっけ。助手席でさ、『家に電話します』と。相手は奥さんだと思う。失格の後だし、何だろ? ひそひそ声で『今から帰るけど、カラムーチョ買ってある?』って。あいつのそんな姿を初めて知ったよ。後で聞いたら、『今はおなかが出たので、あれは我慢してます』だって」。
レジェンドは24年の暮れに引退した。坂本は「引退は年齢順でいこうって約束だったのに」と寂しさを感じながらも、今日もペダルに力を込める。何か探し物を見つけようとバンクへ向かう。
「全身、合わせて30箇所は骨折しているね」。21年夏には落車で骨盤骨折に見舞われた。「あの時はもう必死。さすがに引退っていうのが頭に。手術から、すぐにリハビリってわけにいかなかったし。お医者さんから、左足を床に着けたら駄目って。2カ月はほとんど寝たきり。で、次は車いすへ。大変だった」。現在も猛ダッシュの代償で膝痛がときおり顔を出す。
奮闘が報われたと感じる瞬間もある。「どこか新幹線で行く時だった。東京駅でさ、女性がオレの顔をずっと見ている。『もしかして坂本英一さん? 昔からファンです』と。一緒にいた後輩が『英一さん、さすがっ』って」。
G1の常連からチャレンジまで下がったが、それに反比例するように「ファンあっての競輪」と肝に銘じる。思いが強まる。「将太郎の存在もあるね」。息子への良きお手本として自然と背筋も伸びる。9月函館(決勝3着)の他に大ヒットから遠ざかるが、内容に乏しい走りは見せられない。「長く選手をやることは大事。自分から引退することはない。だってさ、この年齢でも決勝に乗ればドキドキするもんね」。
その日は青空が広がった。雷神バンクと呼ばれる宇都宮競輪場でも、その時間は雨や雷の心配がなかった。神山の冠大会『宇都宮開設76周年記念・第1回レジェンドカップ』の最終日には、超目玉のイベントが用意されていた。神山が現役さながらに9車立てレースに臨む。相手は、栃木支部から希望して挑む現役選手。神山と坂本のコンビが復活した。
神山が中団から三角まくりを仕掛けて勝った。この動きをぴたりと追った坂本は、最後は少しだけ差を詰めて2着になった。ヘルメットを脱いでは感慨にふける。「雄一郎と走るなんて久しぶり。楽しかったよ、うれしかったよ。強いときと変わらなかった。仕掛ける前の腰の動きとか。それと、脇の下からオレを見る動きも。まあたっ、抜けなかった(苦笑)」。レジェンドのライバルになり損ねたダッシュマンは、勝てるまで、まだまだレーサーから降りようとはしない。【野島成浩】

- 坂本英一は全プロ・チームスプリントでも活躍。自身は第1走者、幸田光博と神山雄一郎がそれぞれ第2、第3走者になって栃木チームを結成し、01年と02年大会を連覇した。画像は連覇した戦いぶりがイラスト化された記念品
◆坂本英一(さかもと・えいいち)1967年(昭42)10月30日、栃木県宇都宮市生まれ、作新学院高でインターハイや国体で活躍。同校卒。競輪学校(現・選手養成所)59期生として48勝、総合4位(総勢109人、1位は倉岡慎太郎)。87年5月花月園でデビュー(81(4))。同年6月宇都宮で初優勝(32(1))。G1格の出場は91年競輪祭を皮切りに日本選手権やオールスター、高松宮記念杯の15大会連続を含む、合わせて80度。06年高松宮記念杯(びわこ)の決勝4着が最高。G2格はふるさとダービー準V2度(98年観音寺、03年向日町)がある。競技では全プロ・スプリントで3度優勝。世界選手権に88年と90年、91年に出場し、88年7位が最高。通算成績2975戦257勝、優勝23回。身長168センチ、体重73キロ。血液型O。(12月25日現在)
※文中敬称略


























