鵜飼菜穂子(61=愛知)が約39年間に渡る現役生活にピリオドを打った。

ラストランはインからトップスタートを決めて1着。いかにも鵜飼らしい勝ち方で締めくくった。「スタートだけは行こうと思ってました。エンジンも良くなり、心に余裕ができましたね」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

華やかな戦歴がクローズアップされがちだが、順風満帆ではなかった。当時の本栖研修所(現ボートレーサー養成所)を卒業してすぐ、蒲郡での練習中、大時計に激突。生命を危ぶまれるほどの事故にあった。デビュー戦は同期よりも約半年遅れだった。新人は外からのレースが当たり前のセオリーに反して、すぐさまコースを取った。早速、自身のレーススタイルを築き上げた。「外から勝つより、最短コースを走る方がいいから。でも、あの事故があったからこそ、私は強くなったと思ってます」。負けたくない、強くなりたい信念が鵜飼を支えた。

12R発売中、レスキューに乗りファンの前に姿を現すと、「お疲れさま」「ありがとう」とねぎらいの言葉を投げかけられた。「鬼姫」という怖い愛称とは裏腹に、誰からも愛されたレーサー人生を終えた。