サッカー界とファッション界のコラボレーションは、新たなクラブの姿を生み出そうとしている。

北海道コンサドーレ札幌は今季からクリエーティブディレクターとして、ファッションデザイナーの相沢陽介氏(41)を招いた。すでにポスターのデザインを手がけており、今後はクラブのオフィシャルグッズの展開も始める。クラブとしてのブランド化を追求する相沢氏に、思いを聞いた。【取材・構成=保坂果那】

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クリエイティブディレクター就任が発表されてから2カ月。相沢氏は6月にあるパリコレでの自身のブランドのショーの準備と並行して、札幌の名刺を手に1人でグッズを生産する工場など取引先を訪問している。生産から販売までの流れを見直し、新たな仕組みを確立させようと奔走しているのだ。

相沢氏 コンサドーレというブランドを立ち上げる感覚でやっている。だから、ちょっと時間がかかっちゃうかもしれない。コンサドーレって会社が発売しているブランドを買う、というようなことにしたいので、デザインするだけでは終わらない。ビジネスモデルになりたいと考えている。

札幌での最初の仕事は、シーズン開幕に合わせたポスターづくりだった。撮影はファッションフォトグラファーが担当。ファッショナブルな出来栄えに、選手からもサポーターからも好評だった。「初めてだったのでまだまだもっとできるけど、Jリーグの中では一番格好いいなって自負は持っている」と胸を張る。

もともとJリーガーと親交があり、選手としての素直な思いを聞いたことがあった。選手名鑑の写真は一様に歯を見せた笑顔が求められる。これに抵抗感を持つ選手もいるという。理由をこう分析する。

相沢氏 彼らはクリスティアノ・ロナウドとかベッカムとかトッティを見て育っている。自分たちが見てきたものは格好いいのに、自分がJリーガーになった時にはそういう扱いをしてくれないって。だから選手1人1人のグラフィックも作ってあげたいし、選手のモチベーションが上がれば、サポーターにも伝わると思う。そうしたらチームも強くなるんではないか。

Jリーグ全体が画一的な印象を自身も持ち、そこから札幌を脱却させようとしている。

サッカー経験はない。埼玉・所沢市で生まれ育ち、通っていた中学校は西武球場の真横にあった。プロ野球が身近な環境で育ったが、帯広育ちの父親の影響でアイスホッケーをプレーしていた。高校1年生だった93年にJリーグが開幕。「ファッショナブルなカルチャーがどーんって来て、それですごい好きになってしまった。カウンターパンチみたいな」と、サッカー好きになったきっかけを振り返る。仕事柄、イタリアや英国などへの海外出張が多く、欧州サッカー通になった。毎朝、目覚めると最初に試合結果をチェックするほどだ。

札幌からは1年半ほど前に打診があり、引き受けたのは野々村芳和社長(46)の言葉に胸を打たれたからだった。

相沢氏 「相沢さんがデザインしてクラブの売り上げが伸びれば、前線にFWを取って来られる」って。自分が関わったことでFWを取って来られるって、聞いたことのないフレーズが心に響いた。

200万人都市の札幌にあるサッカークラブに可能性を感じている。セリアAで8連覇を達成したユベントスのホームタウン、トリノは90万人。規模では圧倒的に上回る。

相沢氏 コンサドーレのデザイナーでいたい。サッカーチームって、ファッションブランドよりアウトプットするものが多いと思う。スポンサーへの写真提供とかSNSも、毎試合ポスターやグラフィックを作ったり。コンサドーレのアウトプット商材は常に格好いいって状態をキープしたい。海外は本当に格好いい。夏までにはグッズを出す。ものすごくプレッシャーを感じていますよ、実は。ダサイって言われるかもしれないし。自分のブランドは自分がいいって思うものを作るけど、サポーターがいいって言わないといけないから。

◆相沢陽介(あいざわ・ようすけ)1977年(昭52)10月25日生まれ、埼玉・所沢市出身。多摩美大卒業後、コムデギャルソンを経て06年から自身のブランドのホワイトマウンテニアリングをスタート。モンクレールやバートン、アディダスなどとコラボレーションし、デザインを手がける。18年からハンティングワールドのクリエイティブディレクターに就任。多摩美大の客員教授も務める。家族は妻と2男1女。