山形市出身で青学大の橋間貴弥(3年)が最終10区を走り、4連覇のゴールテープを切った。山形南高時代は全国的には無名だったが、指定校推薦で入学。苦労を重ねながら、今回初めて登録メンバーに入った。この日、吉永竜聖主将(4年)からエントリー変更され、区間2位の好走で原晋監督(50)の抜てきにこたえた。

 ゴール大手町を橋間が先頭で駆け抜けた。沿道の大歓声に加え、肩を組んで待つ仲間からは「タカヤ、タカヤ」の大声援。両手でガッツポーズしながらゴールテープを切ると、30メートル先の仲間に全力で飛び込んだ。誰よりも先に4度の胴上げで祝福も受けた。「ゴール前の、あの景色は一生記憶に残ると思う。初めて走った箱根で、初めて胴上げもしてもらって。箱根駅伝は最高でした」。タスキをつけたまま金メダルを首に下げ「山形県人で初めてアンカーで優勝テープを切ったみたいです。両親も自分以上に喜んでくれています」と笑顔も止まらなかった。

 前日2日の往路終了直後に、原監督から電話で10区起用を伝えられた。右すね痛を抱える吉永主将の代役。「今日になって緊張してきて、6区の走りはほとんど見ていません」。宿舎の部屋で1人で待機中、1度はテレビを付けたがドキドキが止まらず、すぐに消した。主将からは準備運動中に「ゴールで待ってるぞ! 気負わずに楽しんでこいよ」とメッセージが届いた。「大手町で会いましょう!」と返信。ようやく気持ちが落ち着いた。

 有数の進学校でもある山形南高では陸上での実績はない。受験勉強中の14年5月に顧問の薦めで青学大の練習に参加。「無名の自分でも、原監督や先輩たちの姿を見て成長できると思った」。スポーツ推薦ばかりの仲間との競争に、1年時に臀部(でんぶ)を痛め、練習もままならなかったが、ようやくケガも乗り越えた。昨年12月の“メンバー選考”を兼ねた千葉・富津合宿で自己設定タイムを突破してアピール。原監督に「真面目にコツコツタイプ。一番調子が上がってきた」と評価され大役を担った。

 社会情報学部に在籍。箱根後には「青学はなぜ強いのか」というテーマで、卒論研究も始める。「大学の授業も後輩の見本になりたいし、来年は主力区間を走って『箱根5連覇のキーマンだった』と言われるような走りをしたい」。文武両道でエースへの道も走り始めた。【鎌田直秀】