現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一
現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(75=中野サンプラザ/(株)LTB)は今も、家族やトレーナーのサポートを借りて現役を続けている。プロ54年目を迎える自身にとっても、かつてない影響を及ぼしたのが新型コロナウイルスだ。若手選手を中心に先行きの見えない状況に不安の声も聞こえる。このままではボウリング界がさらに下火になってしまわないか。列島中を湧かせたブームを知っている数少ない現役選手として、後進のために何かできないか。コロナ禍というかつてない状況が、矢島の心に大きな使命感を抱かせている。

大きな弧を描いたボールを何度も放つ現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一
大きな弧を描いたボールを何度も放つ現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

放たれたボウリングボールはまるで意思が備わっているかのように、大きく弧を描き10本のピンへと吸い込まれていく。レーンの先から「カラン、カラン」と小気味よい音が聞こえ、全ピンが倒れたことを告げた。

ストライク、ストライク、ストライク…。幾度となく訪れる快感に浸ることはない。矢島は額にうっすらと汗をにじませながら、約20メートル先のピンを目掛けて黙々と投げ続けた。いつしか周囲から呼ばれた「ビッグジュン」の由来は定かではないが、176センチの体格がプレー中はひときわ大きく見える。「大事なのはいかに自分の思った所にボールをコントロールするか。スピードがあっても、狙った所に行かなければストライクは取れません」。練習先拠点の東京・中野サンプラザ地下にあるボウリングセンターに週3回通って調整を重ねている。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の投げたボール。全ピンを倒し「ストライク」を決めた
現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の投げたボール。全ピンを倒し「ストライク」を決めた

国内優勝41個という歴代1位のタイトル保持者。2016年にはシニアの国際大会で日本男子選手として初金星を勝ち取った。そんな現役生活54年目を迎えた矢島にとっても、新型コロナウイルスは大きな影響を及ぼした。今季出場した公式戦はわずか3試合。10試合以上が中止や延期を余儀なくされた。


デビュー当時からけんしょう炎に悩まされ

将来は酒屋を営む実家を継ぐのが親の方針だったため、大学進学の選択肢はなかった。ただ、高校卒業後、働くにしても、体を動かすことは続けたいと、各地でボウリングセンターができるなどブームが起きつつあった競技を始めた。

元々は趣味だったが通い詰める内に、インストラクターから腕を褒められた。「プロを目指さないか」と誘われ、19歳の1年間余りをプロテストに向けた練習に費やした。ボウリングセンターのスタッフとして働きながら、朝方や客が来ない時に練習に励んだ。1日400球以上投げ込んだ成果が実りプロテストに合格した。

喜んだのもつかの間、矢島の右腕はデビュー当時から悲鳴をあげていた。

「デビュー戦にどうしても出たいと医者に無理を言って痛み止めを頼んだ時には、医者から『試合に出れば壊れるよ』と脅されました」。それでも試合に出て優勝するのだから、歴代1位のタイトル保持者の片りんはデビュー当時から健在だった。手首の痛みは付き合っていかなければならないと覚悟し、試合前にはコンディションに応じてテーピングを替えたり、主治医と相談しながら競技に打ち込んできた。

練習前にテーピングを巻く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一
練習前にテーピングを巻く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

70年代のボウリングブームをけん引

60年代後半から70年代前半にかけて、空前のブームが到来した。52年に国内初の本格的競技場「東京ボウリングセンター」が開場した。増加の一途をたどり、72年にはセンターの数は3697カ所(日本ボウリング場協会調べ)と最盛期を迎え、プレーするのに長時間待つことが当たり前だった。矢島は「公式戦に来るお客さんの数は今の10倍以上。一種の社会現象でした」と振り返る。

自身は日本プロボウリング協会創設第1期メンバー19人に名を連ねた。「さわやか律子さん」で名をはせた中山律子さんらとともにブームをけん引した。今では第1期の仲間たちは続々と引退し、第一線として残るのは矢島のみとなった。


50代半ばで肉体の衰え。かすむ「引退」。肉体改造と食生活の改善に着手

危機はあった。限界が来たのは50代半ば。試合中にも手の痛みを感じることが多くなり、若い頃のような無理がきかなくなった。思うようなプレーができなくなり、「引退」の2文字が頭をよぎった。

納得のいくプレーをもう1度したいー。往年の輝きを再び手に入れるため、肉体改造と食生活の改善に着手した。

パーソナルトレーナーの中村博さんが提唱する「筋肉を柔らかく強く」することに特化した独自トレーニングと出会って20年近くたつ。今も週3回取り組んでいる。間近でサポートしてきた中村さんも、矢島の変化をはっきりと感じている。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の手
現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の手

「最初の頃は『年だから』と弱音を聞いたこともありましたが、ここ10年間は聞きません」と語り、自身の理論を実践して年齢を感じさせないパフォーマンスを発揮していると敬意を示す。

妻の邦子さんは、競技中にも集中力が切れることなく好パフォーマンスを継続させる上で「糖質」に着目した。米よりパスタの方が長丁場の試合でも低血糖になりにくいと聞いて、日頃の食事メニューを変えた。「(夫は)すし屋に行っても米は食べない。意志が強くなければできないことです」。不断の努力で引退危機を乗り越えた。

「今もプレーできているのはあの時に変化を恐れず、新しいものを取り入れたから」と語るように、75歳を迎えてコロナ禍に見舞われても向上心は衰えることを知らない。最近はボールの穴のあけ方で軌道がどう変わるかに関心を寄せる。

練習や試合で欠かさず持って行く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の道具箱
練習や試合で欠かさず持って行く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の道具箱
ドリルでボールに穴を開けることも請け負う現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一
ドリルでボールに穴を開けることも請け負う現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

「良いボウラーは、優れたドリラーでもあります」と笑う。顔には、ボウリングに人生をささげてきた自負が見えた。

ブームをけん引し、数々のタイトルを取るなど、すべてをやり尽くしたように見える。高齢者にとって、より重症化リスクの高い新型コロナウイルスがまん延する中で、なぜ現役にこだわるのか。「けんしょう炎に悩まされながら、ずっとプレーしてきました。いろんな苦労をしたからこそ、コップやバッグが持てなくなるまで現役を貫きたいと覚悟ができました」。競技を続ける理由をさらに深掘りすると「やっぱりボウリングが好きなんです。今もずっとそのことを考えていますし、始めた時からずっと変わりません」と力強く語った。

手のひらはしわが目立つものの皮が分厚く、ボウリングと真剣に向き合ってきた足跡が垣間見える。矢島のモットーである「限りなき前進」は、閉塞(へいそく)感が漂う今の世の中だからこそ人々を前向きにさせる。


ボウリング場にも影響及ぼすコロナ

コロナ禍は選手だけではなく、拠点とするボウリング場にも大きな負担を強いる。2019年の現存する数は全国で738カ所(日本ボウリング場協会調べ)。最盛期の約5分の1まで減少した。各ボウリング場は経年劣化する全レーンの切り替えが数十年に1度必要で、その都度数億円の改修費がかかる。店主たちがなんとかつなぎ留めてきた経営を、コロナが廃業へと追い込まないか。ボウリング場に人を呼び込むために教室を開講するなど力を貸したいが、感染症対策でなかなかできないことでモヤモヤした気持ちが募る。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル
現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル

ボウリング人気低下に拍車をかけないか懸念

選手にとっても同様だ。矢島のようにボウリング場所属の選手でさえ、施設が開かなければ仕事にならない。所属先がない選手の場合はなおさら。死活問題に直面している。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル
現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル

公益財団法人笹川スポーツ財団の「新型コロナウイルスによる運動・スポーツへの影響に関する全国調査」(21年2月)によると、コロナの感染拡大前と後で実施率が減少した種目は、散歩に次いでボウリング(3.6%→2.0%)が2位に入った。

3密(密閉・密集・密接)の条件がそろう場所での運動が避けられている傾向があるようだが、矢島はコロナが競技の人気低下に拍車をかけないかと心配している。一般客になんとか戻って来てもらえるよう、各地で体験教室が開催できる日を心待ちにしている。

東京・中野サンプラザボウルで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一
東京・中野サンプラザボウルで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

「全盛期知る私には責任がある」

コロナ禍に負けるわけにはいかない。その思いを体現するかのように、75歳にして新たな試みを始めた。今年1月にスポーツギフティングサービス「Unlim(アンリム)」に加わった。資金面で苦労しているアスリートを応援する取り組みで、ファンから寄付という形で支援を募る。参加アスリートの中では最年長で、ボウリング界では初めて加わった。「今度公式戦にご招待しますよ」「現地で一度観戦してみて下さい」と担当者に伝えるなど、地道な営業活動を続けている。

矢島と交流があり、ボウリング通で知られる歌手でサザンオールスターズの桑田佳祐のポスター
矢島と交流があり、ボウリング通で知られる歌手でサザンオールスターズの桑田佳祐のポスター

ボウリング好きの歌手サザンオールスターズの桑田佳祐にはマイボールをプレゼントしたり、一緒にプレーしたりと交流を重ねる。桑田のリリースした「レッツゴーボウリング」の歌詞には、往年の選手とともに矢島の名も登場する。友人の粋な計らいに感謝しつつ、矢島自身が広告塔になることでボウリング界に関心を寄せる人が増えてほしい。そんな思いも新たな挑戦につながった。

華麗なフォームで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(写真はすべて平山連撮影)
華麗なフォームで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(写真はすべて平山連撮影)

「ビッグジュン」との呼び名で親しまれるプロボウラーは、後期高齢者であることを全く感じさせないバイタリティーにあふれている。「私ができることはささいなことしかありませんけど、後輩たちがより良い活動につながることがしたい。全盛期を知る私には、その責任がある」。力強い言葉とともにどんな活動ができるかと模索する姿が印象に残った。

【平山連】