高校野球から海上保安官へ-。狭き門を突破した元球児がいる。名門高校でレギュラーの座をつかむことができず、野球に区切りをつけ、今後の人生は困っている人に手を差し伸べようと決意した。1度は不合格となりながらも、2度目の受験でおよそ6倍という難試験を突破。新たな道を志した決断と挑戦に迫る。
■「グロいな」
山根源次郎は書店に入り、本を探し始めた。人生の中で、そうしたジャンルの本があることすら知らなかった。自分とは無縁の、未知の世界のもの。手にする。心構えもないままページをめくった。
息をのむ。凄惨(せいさん)な写真におののき、くぎ付けになる。山岳事故、水難救助での遺体、交通事故での被害者のありのままが写し出されていた。出血ばかりではない。体が不自然な方向にねじれてしまっている。本を持つ手にじっとり汗がにじむ。「グロいな」。胸の鼓動を抑え、目を背けたくなる写真を必死で凝視した。5分ほどだろう。本を閉じ、棚に戻して書店を出た。
山根「興味本位でした。でも、これが事実なんだと感じました。僕はそういう場所に入っていくのかなと、感じました」
■興味本位からの脱却
山根は「興味本位」と表現したが、そのあやふやさは必然のように昇華していく。数日後、書店で再び本を手にした。興味本位からの脱却。「何度か写真を見たことで、自分もこうした遭難者を見ていくと覚悟が決まったんだと思います」。この時、山根は救急救命士を視野に入れていた。明確な進路は見えないが、人命救助の現場とはどんなものか、必死に向き合おうとしていた。
■2年秋からベンチ入り
山根源次郎。中学時代に八王子シニアで頭角を現し、4番捕手として中学3年での春の全国大会は2位。打率6割で敢闘賞に輝いた。夏も全国ベスト8の実績で、念願の日大三高(東京)へ進んだ。レベルの高い日大三でも2年秋からベンチ入り。右の強打者として左中間への長打を武器とした。3年夏の大会もベンチ入りしたが、強肩の不動の捕手がいた。壁は高かった。「公式戦の出場はありませんでした」。
■野球とは離れた道を模索
ライバルの実力を肌で感じながら、高校野球を全力でやり抜き、その先は野球とは離れた道を模索しようと考えていた。3年の5月ごろ、バッティングセンターで弟の友達の父親から救急救命士について話を聞かせてもらった。
山根「ずっと野球をしてきて、これからは体を使うことに加えて頭を使う仕事を考えていました。器具を使い、緊急を要する中で素早く処置をする。人を助ける仕事を意識するようになりました」
■レスキューをやりたい
そんな時、同校の白窪秀史コーチ(40)が親身に相談に乗ってくれた。山根は捕手として白窪コーチからアドバイスを受けることが多く、その中で救急救命士が念頭にあると伝えていた。「海上保安庁に進んだ後輩がいる。1度、会って話を聞いてみたらどうだ」。後日、野球部の先輩である徳永悠希さん(39)から貴重な話を聞き、気持ちは大きく動いた。これを契機に、救急救命士から海上保安官へと気持ちが傾いていった。
山根「自分の気持ちを整理して考えた時、レスキューをやりたいと思いました。救急救命士の方は主に救急車の中で救命活動をされています。どんな現場で活動しているか考えた時、私は海で命を救う仕事に就きたいと思うようになりました。救急救命士でも消防士でもなく、海上保安官を目指したのは、海が大好きだったからです」
■進むべき道が見えてきた
祖父の実家がある静岡・伊東市、宇佐美の海が好きだった。野球を終えて次のステージを考えた時、子どものころに遊んだ田舎の海が頭をよぎった。気持ちはどんどん整理され、進むべき道が見えてきた。
山根「徳永さんは以前、特殊救難隊に選抜されていました。海上保安庁の中でもっとも厳しい訓練を積み、さらに抜てきされてなれる部署です。そこでのやりがいなどを教えていただきました。そして、ドラマでは人命を救助しているけれど、実際は助けられる命は少ないよ、ご遺体を収容することの方が多いんだよ、と教えていただきました。徳永さんの話を聞いて、レスキューの仕事への思いが一層強くなりました」
■自分の強みは努力の量
同じ三高野球部の先輩が海上保安庁で活躍している。胸は高鳴る。20年度の合格率は17・4%。毎年合格率は20%に満たない難関だが、挑戦を決めた以上、迷いはなかった。
山根「自分の強みは努力の量です。1つの目標に向かってやり切る。小学生の時から三高野球部に入ることが夢でした。その夢はかなえました。次は海上保安官が夢になりました」
■40点満点で14点。惨敗
卒業目前の高3の2月から、東京・町田の公務員を目指す専門学校に通い始めた。すぐに挫折する。勉強をすると決めながら集中できない。浮ついた感じで無為に時間が過ぎた。5月、21年度1回目の採用試験。結果はやる前から分かっていた。40点満点で14点。惨敗だった。
努力の量が足りない。そこに、あの言葉が響いてきた。「練習はうそをつかない」。小倉監督が大切にする三高野球部の礎となるスピリッツだ。「僕はあの言葉が大好きで、それで思いました。やるだけやろう。もう、今を限りに切り替える」。
YouTubeのリストを消して、スマホを片付けた。テレビも見ない。5時起床、24時就寝。およそ17時間は机に向かった。友達が誘いに来ても、断った。「行きたいと思いました。でも、その間にも同じ道を目指すライバルは勉強していると思って。だから断りました」。
■545人中24番で合格
専門学校での成績は当初は約300人中250番ほど。しかし、めきめきと力をつけ、最終的には10番にまで上りつめた。11月、2度目の採用試験に向かう時、気持ちはすっきりしていた。「これだけやってダメなら仕方ない。そう思えるくらいやりました」。
21年度の海上保安学校学生採用試験は3159人の申込者に対し、第1次試験合格者が957人。最終合格者数は545人。合格率17・2%、倍率5・79倍。これだけ難関な試験を山根は全体で24番という極めて優秀な席次で合格した。そして、船舶運航システム課程(採用予定数275人)の採用候補者名簿に記載された。山根は吉報を胸に、小倉監督を訪ねた。
山根「僕は三高ではチームに貢献できませんでした。でも、合格したことを報告に行った時、監督さんが驚いてくれて、すごくうれしかったです。野球では活躍して監督さんに喜んでもらったことはありませんでした。それが、自分のことで喜んでくれたことがうれしかったです」
■勝負し、決着をつけ、次の1歩
名門日大三高野球部で勝負して、自分の中で決着をつけ、次のステージに向かった。ライバルと自分の力量を比べ限界を認めることは、周囲が考えるよりもずっと複雑で、苦しい。大好きだった野球に区切りをつけ、次の1歩を目指した。それは、真剣に野球に取り組んできた山根が自分で決めたことだ。「自分が決めたことを、誰が見てたって見てなくたってやりきる。そういう男になれ」。小倉監督の言葉がよみがえってくる。採用試験という狭き門をこじあけ、先へ進む。
山根「いずれは特殊救難隊になることを目指して一生懸命やりたいと思っています」
特殊救難隊は高度な技術と体力、知識が求められる潜水士の中でも、とりわけ優秀な人材が厳選される。海上保安官全体の2%足らず。各管区から選抜された中で、さらに選ばれたエリート集団だ。次のステップへ導いてくれた徳永さんへのあこがれが、山根を海上保安官のトップ・オブ・トップへ駆り立てる。
■誇り高き海の男に
過酷な局面にも遭遇するだろうが、人生をささげて人のために働く熱いスペシャリストになってほしい。遠くない将来、プロフェッショナルとして人命救助の現場に立つだろう。そして、助けを求める人のもとへ、かけつける彼の無事と活躍を祈りたい。
4月1日、日大三高野球部で戦い切った球児・山根源次郎は、誇り高き海の男になる。(一部敬称略)【井上眞】
◆山根源次郎(やまね・げんじろう)2002年(平14)5月2日、神奈川県出身。小学2年から小山ファイターズ(町田市)で野球をはじめ、八王子シニアから日大三高に進む。父裕二さん母由季さんと兄陽太郎(21=大学生)、弟幹三郎(中3)の5人家族。178センチ80キロ右投げ右打ち。








