コロナ禍で東京2020大会が1年延期となり、他にも数々のスポーツ大会が中止、延期になった。この状況の中で、さまざまな側面から「スポーツ」について考えることが多くなった。

高校生の大会ではほぼ唯一の全国規模となった先日の甲子園交流試合は、感染予防策を徹底し、無観客で全16試合を無事終了した。高校球児たちの思いを乗せた大会を見ると久しぶりに気持ちが前向きになり、明るくなった。この大会を行った意味は大きかったと感じる。


こんな日本のスポーツ界だが、「スポーツってどんな価値があるの?」と最近は常に自問自答している。そんな中、以前にもこの欄で紹介した井本直歩子さんの書いた記事が心に響いた。アトランタオリンピック競泳日本代表で、私自身のセカンドキャリアに大きく影響を与えた人だ。その内容は、スポーツの必要性を問うものだった。

「こんな時にスポーツかと言う人もいる。もちろん今は感染の状況や安全性などを鑑みながらになるが、私はだからこそスポーツの必要性を考えるべきだと思う」「それは豊かな国も貧しい国も変わらない」

彼女は国連児童基金(ユニセフ)職員、教育専門官でギリシャ在住。バックグラウンド(アスリートキャリア)から現在の活動に至るまで、1本の糸が通っている。こんな人もなかなかいない。オリンピックでの経験から、素晴らしい想像力と向上心と意欲が紐(ひも)づいて、人生を生きている。その姿を見ると、私にとってずっと尊敬する人なのだと思う。

少し振り返ってみる。井本さんが出場したアトランタオリンピックは1996年。国立スポーツ科学センター(JISS)が建つ前だ。日本のエリートスポーツ政策はその後に本格化した。2000年にスポーツ振興基本計画が当時の文部省で策定され、2001年にはJOCゴールドプラン、このあとJISSが建設され、日本アンチ・ドーピング機構、スポーツ振興くじ助成もできた。2011年にスポーツ基本法ができ、これに基づく今後10年間のスポーツ振興が、2012年にスポーツ基本計画において策定されたのだ。このエリートスポーツに対しての関心が高まる以前に彼女はさまざまな自身の知見から現在の道を開いている。


日本のスポーツへの関心が今、どうにかいい方向に向かってほしいと感じている。「競技する場所」がある、スポーツがあることがどんなに素晴らしいことなのか。

アスリートから得るものは多い。私がオリンピックに出場した時、テレビを見た友人が何か自分でもできることはないかと夜、走りに行った話を聞いた。それからランニングが習慣となり、スポーツが自身に根付いた。小さな話かもしれないが、こういったきっかけも人生において重要なものだと思う。

スポーツ、音楽、芸術。もっともっと、この価値を議論する場所があっていい。「そんなの必要ない」の言葉で跳ね返すのではなく、議論する。意見を言い合う。もちろん反対でもいい。賛成でもいい。さまざまな側面の意見が根本的にいいものを生むことに気がついて、相手の意見を尊重し、ディスカッションできる場所が増えたらいい。スポーツのあり方、価値について考えていたらこんな気持ちになった。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)