中西太

西鉄黄金時代を築いた伝説の野武士軍団、左から青バットの大下弘、中西太、豊田泰光
西鉄黄金時代を築いた伝説の野武士軍団、左から青バットの大下弘、中西太、豊田泰光

3冠を2人で分け合った。西鉄野武士軍団の打撃の中心選手だった〝怪童〟中西太が本塁打と打点、豪快強打の遊撃手豊田泰光が首位打者(打率)を獲得した。豊田のプロ入り4年目1956年のことだ。ここにも〝三原マジック〟があった。西鉄は日本シリーズで3年連続巨人を倒した。黄金時代を築き、ともに戦った豊田が16年8月14日に亡くなった。大下弘、仰木彬、稲尾和久……そして豊田。中西は日刊スポーツに「悼む」を寄せた。「私の1年後輩。彼は天才、センスがあった。負けん気が強く、闘志をむき出しにする男。強過ぎる個性のかたまりだった野武士にあって、しぶとい豊田は欠かせない存在だった」と書いている。中西が凡才なわけがないが…(/_;)

<プロ野球・2016年8月16日掲載>