●青学大出身の社会人1年目

 “幻の山の神”に注目している。

 橋本崚(23=GMO)が18日、山口県内で行われた防府読売マラソンで初優勝を果たした。タイムは2時間11分20秒ながら、これが2度目のマラソン。2月の東京マラソンから3分以上もタイムを縮めた。

 箱根駅伝2連覇中・青学大出身の社会人1年目。ただ自身は4年間箱根を走ったことはない。3、4年次は「新山の神」「3代目山の神」などと称された神野大地(コニカミノルタ)の付き添い。同期であるスターを出番前に給水やアップの手伝い、場所取りなどをして支えていた。まさに日の目を浴びてこなかった男である。

 ただ、実力は神野と互角、いやそれ以上だったかもしれない。本当は2年時、神野らを差し置いて、山登りの箱根5区を走る予定だった。全日本は6区で区間5位。しかし、箱根駅伝モードに入ってきた11月だった。左足に激痛が走った。ふくらはぎの肉離れ。戦線離脱を余儀なくされ、高橋宗司に5区を譲った。

 ここから負の連鎖が始まる。左足をかばい、3年時は体のバランスを崩した。その影響もあり、左ハムストリングの肉離れ、左臀部(でんぶ)の肉離れ、右大腿(だいたい)骨の骨折とけがが重なった。立場が逆転し、5区には神野が抜てきされた。「正直、付き添いはしたくなかった」。それほど無念で、やるせなかった。自分の状態は戻らない。“代役”だったはずの神野は箱根の後、世間の注目を集める存在となっていた。チームは初優勝を飾ったが、「すごく悔しかった」。

 4年時。けがは回復したが、確固たる名声を築いていた神野の壁は高かった。評価は覆せず、青学大の層の厚さもあり、走ることはできなかった。「優勝して終わりたかった。チームのために頑張ろう」と気持ちは切り替えたが、裏方として大学生活は幕を閉じた。連覇にも「走ってなくて、素直に喜べなかった」が本音だった。

●箱根を走れなかった悔しさ

 登りは得意で、練習でも「神野に勝ったり、負けたりしていた」という。力が競り合っていた。たらればの話になってしまうが、もし、他大学に進んでいたら…もし、けがをさえなく、5区を走れていたら…。橋本が「山の神」と呼ばれていたかもしれない。これぞ幻の山の神!?

 あくまで個人的な考えだが、人を魅する選手には決まって、ある種の挫折があるように思う。プロ野球の大谷翔平投手(日本ハム)も花巻東高(岩手)時代は最後の夏に甲子園を逃している。サッカーの本田圭佑(ACミラン)も中学時代にG大阪ジュニアユースからユースへ昇格できなかった。屈辱は成長の糧にできる。

 防府読売マラソン。陸上競技場に入ってきた橋本は手を挙げて、観客をあおった。影の競技人生を送ってきた男にたくさんの拍手と歓声が注がれた。気持ちよさそうにトラックを回り、フィニッシュテープを切った。レース後は「(箱根駅伝)5区の区間賞は日本のスターだと思う。それと同じなのは、オリンピックの金メダルだと思う。オリンピックで金メダルを取りたい」と言った。一般的に見れば、世界一の方がはるかに名誉だが、それだけ箱根の5区を走れなかった悔しさがにじみ出た言葉でもあった。

 次走は来夏の世界選手権代表選考を兼ねた来年2月の東京マラソンだ。苦節の男が、世界で成り上がる姿を見てみたい。【上田悠太】

 ◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平成元年)7月17日、千葉県市川市生まれ。東京・東亜学園高野球部では、けがもなく3年間補欠。14年に入社。芸能やサッカーを担当した後、現在は陸上、空手など五輪競技を取材。