向き合った時間は重苦しく、止まったように長かった。まだ本来の力ではない。ただ16歳で12年ロンドンオリンピック(五輪)の女子400メートルリレー代表となった土井杏南(23=JAL)は長い暗闇を脱する気配が漂う。

今季初戦だった7日の埼玉県内の記録会は、ともに向かい風0・4メートルで11秒74を2度並べた。21日の出雲陸上の決勝では追い風0・8メートルの11秒68。自身3年ぶりの11秒6台で、昨年の日本選手権女王の世古和(27=乗馬クラブクレイン)にも先着した。久々に大勢の報道陣にも囲まれた。「(女子100メートルの参加標準記録)11秒24を出さないと世界選手権には行けない。今回の結果もうれしいとかはなくて、目指している11秒24への過程。そこに向けて頑張ります」。今の状態を象徴するように力強く言葉を連ねた。

埼玉・朝霞一中では11秒61の中学記録を残し、埼玉栄高2年時には現在の自己ベストでもある11秒43の高校記録を樹立した。ロンドン五輪の出場は日本陸上界で戦後最年少。天才少女として世間を騒がせたが、その後はケガに苦しんだ。ヘルニアや肉離れの繰り返し。大東大3年時は日本選手権で予選落ち。世界選手権やリオデジャネイロ五輪は出場できない悔恨さえ湧かない。「人ごと」と別世界のようにも感じた。光明の見えない闘いが嫌になり、練習へ行かなかったり、グラウンドに出てもストレッチだけして帰ったりした日もある。その後も浮上の兆しが見られなかった。

昨年7月の南部記念。追い風0・7メートルの条件下で12秒14。サブトラックに戻った土井は泣いていた。携帯電話を手にし、埼玉栄高の恩師・清田浩伸監督に再び指導を頼み込んだ。「何もしないで、このままでは終わってしまうのは嫌だった」。拠点を大東大から埼玉栄高に移した。清田監督からは「過去の土井杏南に戻るのではなく、0にして新しい土井杏南を作っていこう」と告げられた。体は左右のバランスが崩れ、走りはバラバラになっていた。体軸を鍛え直し、1度過去をリセット。骨盤を意識し、「股関節周りの力を使って走る」をテーマに新しいフォームを模索した。メニューは別とはいえ、11秒67の自己記録を持つ鈴木一葉(3年)ら高校生に交じって汗を流す。「高校生ってすごく元気。相乗効果というか、私も刺激をもらいます」。練習が終われば、一緒に食事に行くこともある。「みんな私を上と思っていないみたいですけど」と笑う。でも分け隔てなく接してもらえるのはうれしそうだ。

昨年は資格記録が足りず、体は万全なのに日本選手権も織田記念国際も出場さえできなかった。走ったのは地域の記録会ばかり。「そういうレベルだったんですよ」と笑い飛ばす。嫌だった練習も今は違う。「毎日の練習が、前日から寝られないぐらいすごい楽しいんです。試合も練習も楽しいです」。明るい表情も戻ってきた。

自らは「復活」という言葉を使わない。「進化」と表現する。「痛い思い、苦しい思いもいっぱいあった。皆さんは復活とおっしゃってくださるのですけど、私はすべて進化の過程の1つだと思っている」。17年10月1日の入社内定式ではこう口にしていた。「JALの一員として世界に羽ばたけるように頑張っていきたい」。飛行機だって逆風を利用して、高く飛び立っていく。思うように走れなかった果てしない苦難を経た先に、まだ見ぬ景色が広がっている。【上田悠太】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当する。18年平昌五輪はフリースタイルスキー、スノーボードを取材。