緊急事態宣言後にオリンピック(五輪)競技として初めて実施された「日本選手権」は、成功裏に幕を閉じた。

9日から13日にかけて5日間、石川県小松市の木場潟カヌー競技場で行われたカヌー・スプリントの日本選手権。男子カヤックフォアで東京五輪出場を決めている4人のメンバーをはじめ、東京五輪を目指すトップ選手らが集い、熱戦を展開した。最終日にはパラカヌー・スプリントの日本選手権も同時に行われ、東京パラリンピック代表の瀬立モニカ(江東区カヌー協会)らが奮闘。日本カヌー連盟の古谷利彦専務理事は「日本選手権が開催できる喜びを、今年ほど感じることはなかった」。言葉に実感があふれた。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のあらゆるスポーツ大会が次々に中止や延期となった。カヌーも例外ではなかったが、伝統と格式を持つ今大会については、実施に向けての道筋を模索し続けてきた。「1年後に延びた東京五輪パラリンピックにつなげていくためにも、まずは国内大会を安全で安心な形でやり遂げることが重要。そのためにも開催をあきらめなかった」(古谷専務)。

コロナ禍での大会実現に至った要因の1つとして、長い年月を経て構築された競技団体と開催地との信頼関係があったことは間違いない。スプリントの日本選手権の固定開催地である小松市は「カヌーの聖地」と呼ばれ、日本代表の強化拠点が置かれている。数々の国際大会も行われ、ワールドカップや五輪大陸予選などの舞台にもなってきた。市や県が競技に対する理解を持っていたことで、連盟の熱意がしっかり伝わった。

だからといって、大会実施への道のりは決して平たんではなかった。8月には小松市内の一部でクラスターが発生し、感染者数が増加。複数の選手が「本当に大会が開かれるのか心配した」と明かしたように、開催を案じる声もあった。状況は刻々と変化するなか、難しいかじ取りを強いられつつも、主催者は冷静に状況を見きわめ、勇気を持って判断した。

今大会が無観客ではなく、一般来場者を受け入れて実施されたことも特記事項といえる。会場は県内有数の入園者数を誇る広大な公園内の一部で、完全にクローズドな状態をつくることは難しい環境。ならば閉め出すのではなく、万全の対策を取ったうえで門戸を開いた。会場入り口では1人1人の体温を測定。観戦時におけるマスク装着や声援自粛の要請はもちろん、互いの距離を保つために考案された、両手を広げての“ソーシャルディスタンス体操”の呼びかけが場内放送で流れるなど、工夫がこらされた。

通常とは異なる状況下で、真っ先に行われた国内主要イベント。その大会運営は、1年後に向けて大きな意味を持つ。大会3日目には東京五輪パラリンピック組織委員会が遠路訪れ、感染症対策や会場マネジメントなどをじっくり視察した。

感染拡大防止のため、選手のエントリーは1人2種目まで。制限を受けながらの出場となったが、不満の声は一切聞こえてこなかった。カヤックシングル200メートルで優勝した小松正治(愛媛県競技力向上対策本部)は、「この大会に向けてモチベーションを上げていた。開催してもらえて本当に良かった」と感謝。相次いで大会がなくなり、目の前の目標を失いつつあった選手たちにとって、日本選手権の存在は明確な道しるべとなった。そして久しぶり実戦を経験したことで、新たな課題を見つけ、現在地を把握した。

17日にはフェンシングの全日本選手権(東京都・駒沢体育館)が開幕した。来月1日からは陸上の日本選手権(新潟市・デンカビッグスワンスタジアム)が始まる。パラ陸上の日本選手権(埼玉県熊谷市・熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)は一足早く行われ、今月6日に閉幕した。

来夏に向けて踏み出した1歩目の足音が、各地で響きつつある。【奥岡幹浩】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)