ラーメンを作って「助かりました」と言われたのはこの時だけだった。みちのくプロレスの新崎人生(54)は、11年の東日本大震災後、プロレスとラーメンで、被災者の心を救った。

震災1年前に仙台市内にオープンした徳島ラーメンのお店が被災した。ライフラインは停止し、スタッフ総出で建て直すのに奮闘。材料を徳島から空輸とトラックで運び、1週間で再開させた。周りの店は食材調達が困難で営業できない中、ガス、水道の復旧と同時にスタートさせた。「とにかく早く開けようと。みんな温かい食べ物がなく、まともな食事ができなかったので、とても喜んでくれた」。その時のお客さんの笑顔が、今でも印象に残っているという。

津波で普段からプロレスで使っていた仙台市内沿岸部の会場は2階まで浸水し、使用不可能となった。地元の大会は中止となったが、すでに決まっていた3月下旬の九州遠征は、新潟経由で現地に向かい、なんとか開催。新崎はラーメン店の運営があり、参加できなかったが、多くの選手たちが、1000キロ以上離れた地域でたくさんの元気をもらった。その後はレスラーとラーメン店がコラボし、沿岸部での慰問や炊き出しを何度も行った。6月からは徐々にプロレスも開催できるようになった。

新崎 避難所や学校の体育館、校庭でやった。6メートル四方のスペースがあればどこでもできる。プロレスは、しばらくはお金を取ってやる環境ではなかったですね。

大変な支援活動にも落ち込むことはなかった。

新崎 コロナと違って、復興、復旧で良くなっていくだけだったので。被災者と同じくくりで言われるけど、沿岸部とは天と地の差。内陸にいた自分たちは早い段階で生活が戻ってきた。身内が亡くなった人たちは心の傷があったと思うが、命が助かった人はほとんどが前向きだったと思う。

震災時に訪れた仮設住宅に住む人たちは、仙台市内の大会にも駆けつけてくれている。会食に誘われたりと今でも交流が続く。震災から10年、他団体では回れないような小さな会場にも出向いてきた。「大変な思いをともにして、支えられている感じがある。仲間意識が強くなった」と振り返る。

3月11日を迎えるにあたり、地元の興行では特別なことはしない。「あの日を忘れないと言うが、東北の人は忘れたことはないし、風化させていないので、(特別なことを)やる必要は全くない」。毎年3月に開幕するみちのくプロレスも、あえて強調することはなく、今年も通常通りの興行を開催する。

震災を経験し、以前から交流のあった故・ジャイアント馬場さんの「我々の1番のスポンサーはお客さん」という言葉の重みを再認識した。28年間東北の人たちと苦楽をともにした新崎は「人生の一部」となったみちのくプロレスと今後も歩み続ける。

◆新崎人生(しんざき・じんせい)1966年(昭41)12月2日、徳島県生まれ。高校卒業後、俳優を目指して上京。92年11月にプロレスデビュー。93年にみちのくプロレス移籍、03年に社長就任した。06年にセンダイガールズを旗揚げ。得意技は拝み渡り。180センチ、108キロ。

【松熊洋介】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)