19年ラグビーW杯日本大会で史上初となる日本代表の8強に貢献したNO8姫野和樹(26=トヨタ自動車)が22日、オンラインで行われた記者会見で海外挑戦に対する思いを語った。

21年1~6月に予定されている、世界最高峰スーパーラグビー(SR)の「ハイランダーズ」で迎える新たな挑戦。同チームはニュージーランド南島にあるダニーディンを本拠地とする。「新天地ってどんなところ?」を記者が解説する。

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人口約13万人のダニーディンは、スコットランド移民が開拓した歴史のある町だ。坂が多く、郊外の住宅地にある「ボールドウィン・ストリート」は最大勾配35%。かつて「世界一急な街路」として、ギネスブックに記されていた。

そんな海と山の魅力が交わる、自然豊かな町の誇りが、96年に創設された「ハイランダーズ」だ。

W杯日本大会を約5カ月後に控えた19年4月、この地を日本代表候補の特設チーム「ウルフパック」が訪れた。透明な屋根が特徴的な「フォーサイス・バー・スタジアム」で、ハイランダーズB(控えチーム)と強化試合を実施。姫野は前半29分で負傷交代となったが、主将を務めたNZ遠征最終戦を46-21の勝利で締めくくった。

その遠征中、私が町を「ウーバー」で移動していると、運転手から「どこから来た?」と尋ねられた。日本人であることを告げると、彼は笑顔でこう言った。

「タナカはまだ日本代表でやっているか? あの時のハイランダーズは最高だったぜ!」

話のニュアンスは、そのような感じだったと思う。

15年、ハイランダーズはSR初制覇。その一員として日本代表SH田中史朗(35=キヤノン)が貢献し、日本人初の優勝を飾った。

率いていたのは現日本代表ヘッドコーチ(HC)のジェイミー・ジョセフ氏(50)。ジョセフHCはスタジアム近くのオタゴ大を卒業している。ウルフパックの遠征時には当時を懐かしそうに、こう振り返った。

「ラグビー人として、ここで学んで、育った。小さな町だが、NZの他の地域からも、ここに人が来て、町中が盛り上がる。(15年のSR優勝時に同国ウェリントンでの決勝を終えて)空港に到着した時、通りが人でパンパンだったよ」

今月20日には来季のハイランダーズHCにトニー・ブラウン氏(45)の就任が発表された。ブラウン新HCもオタゴ大出身。19年W杯で日本代表ジョセフHCをコーチとして支え、姫野をよく知る存在でもある。

他にも数多くの選手が訪れ、日本ラグビー界とも深い縁のあるダニーディン。

「日本を離れ、一からハングリーにプレーすることが必要だと思いました。日本でプレーできないのが悲しいですが、帰ってきた時には大きく成長した姿をお見せできればと思います」

そう決意する姫野の活躍を、現地ファンも待ちわびているはずだ。【松本航】

◆姫野和樹(ひめの・かずき)1994年(平6)7月27日、名古屋市生まれ。中学で競技に出会い、愛知・春日丘高(現中部大春日丘)1、2年時に花園出場。帝京大で大学選手権8連覇などに貢献。17年にトヨタ自動車へ加入し、1年目から主将。同年11月オーストラリア戦で日本代表デビュー。現在17キャップ。18年からはSRの日本チーム「サンウルブズ」でもプレー。趣味は温泉。187センチ、112キロ。

◆オタゴ・ハイランダーズ 1996年創立。本拠地はNZ南島のダニーディン。日本代表ジョセフHCが指揮し、同SH田中史朗(キヤノン)が在籍した15年にSR初優勝。19年W杯日本大会にはNZ代表SHのA・スミスらを輩出。国内5チームで行われた今季の「SRアオテアロア」では4位。チームカラーは青と黄。

◆日本人選手のNZ挑戦 13年にハイランダーズへ加入した19年W杯日本代表SH田中が、レベルズ(オーストラリア)の同代表フッカー堀江と共に日本人SR初出場。田中は4季プレーした。15年からはチーフス(NZ)にフランカーのリーチ(東芝)が3季在籍。NZ代表の名選手ケーンの背中を追って成長した。15年W杯日本代表プロップ山下裕(神戸製鋼)も16年にチーフスでプレーした。