【ヤクルト週間①小川淳司GMのルーツ】保護司の父から授かった座右の銘「出会いの失敗者になるな」

なぜ、若い選手が次々と活躍するのか…今のスワローズを支える根幹を垣間見ることができるコラムです。トップの人間性がじんわりと組織に浸透して、結果に結びついています。(2018年6月18日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

浜本卓也

◆小川淳司(おがわ・じゅんじ)1957年(昭32)8月30日生まれ、千葉県出身。習志野3年時に春夏連続で甲子園に出場し、夏は優勝投手。中大で外野手に転向。河合楽器を経て、81年ドラフト4位でヤクルト入団。92年、トレードで日本ハムに移籍、同年引退。93年にスカウトでヤクルト復帰。96年からコーチ、2軍監督など歴任。10年5月から高田監督の代行を務め、11年に正式就任。14年退任後は球団シニアディレクターを務め、18年監督復帰。20年からGM。186センチ、93キロ。右投げ右打ち。

退任セレモニーの涙。整列する選手たちも涙=2014年10月7日

退任セレモニーの涙。整列する選手たちも涙=2014年10月7日

▷辛抱強く

小川監督の少年時代。農業を営む父誠治さんは、保護司として保護観察の少年少女の話を聞き、指導をしたり更生の手助けなどをしていた。

鼻っ柱の強い若者たちが相手。時に約束をすっぽかされることもあったという。それでも「次は待っているからな」と優しく声を掛ける父。

なぜ怒らないのか、いつも不思議だった。勇気を出して理由を聞いた。思わぬ答えが返ってきた。

「『辛抱強くすれば人の心は開くんだ、出会いの失敗者になるなよ』って言ってたんだ。なるほどなと思ってね。それから、おれもジッと待つようになっちゃったよ」

人間・小川淳司にとって、人生の道しるべとなった言葉だという。

ルーキー奥川を見守る。周囲の声をよそに、ファームでじっくり育てるプランを選択した=2020年1月16日

ルーキー奥川を見守る。周囲の声をよそに、ファームでじっくり育てるプランを選択した=2020年1月16日

だからこそ、チームが最下位に沈もうが、ジタバタすることはなかった。選手の能力を信じて起用し、積極采配で勝利をつかみにいった。打たれても、ミスをしても、前向きなものなら挽回の機会を与えた。

「交流戦では、バイオリズムのいい状態が重なった。投手も野手も、状態の良さがかみ合った。だれかがケガで休んでも、代わりの選手が活躍したり、みんなが頑張った。本当におれは何もしていないよ」。

辛抱強く成長を待った成果の1つが、球団初の交流戦最高勝率だった。