冬季大会24度目の北京オリンピック(五輪)が、フィギュアスケート男子で94年ぶり3連覇を目指す羽生結弦(27=ANA)の戦いが4日、幕を開けた。

国家体育場(鳥の巣)で行われた開会式は欠席したが、コロナ禍の中の演技を「とても大切に、大事にしていきたい」とコメント。夢のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)成功へ突き進む。個人戦の男子ショートプログラム(SP)は8日、フリーは10日。大会には91の国・地域から約2900人の選手が参加する。20日まで17日間、7競技で史上最多109種目が実施される。

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羽生が帰ってくる。19歳のソチ、23歳の平昌を制した五輪の舞台へ、再び。27歳で「僕たぶん今、一番うまいです」と進化して3連覇に挑む。1928年サンモリッツ大会のグラフストレーム(スウェーデン)以来94年ぶりの偉業へ。開会式に合わせて、日本選手団の一員として出した談話に率直な思いを込めていた。

「自分自身が感染しないように、感染を拡大させるための起因とならないように。競技に集中するための時間や、十分な呼吸が必要な場面など高いレベルで両立することは、とても難しい」。まだ練習に姿を見せていないのも、かつて「五輪を知っている」と言った男なりの本番への備えだ。

一方で国内外の注目度は増す。現地では東京大会組織委の橋本聖子会長、選手団の伊東秀仁団長に羽生の所在に関する質問が飛び、この日も24年パリ五輪を開催するフランスのレキップ紙が羽生を「生ける神」と紹介。「日本で羽生のライバルは1人。エンゼルス大谷翔平選手だけだ」と別次元の比較を展開し「メディアにとっての五輪成功は羽生にしか懸かっていない」とまで断言した。男子SPの8日に合わせ“降臨”する時を世界が待っている。

本人は「選手の安全な空間をつくることも大変。その中での演技をとても大切に、大事にしていきたい」と感謝する。今大会は「閉環」(クローズド・ループ)と呼ぶバブルに入り、外部と遮断される。20年はコロナ禍を考慮してグランプリ(GP)シリーズを全休したが、スケートへの愛を再確認し、21年の世界選手権などをへて知見を学び、昨年末に「3連覇を目指す」と初めて明言。前日も日本連盟に寄せた動画で「さんっ!」と指3本でV3への意欲を示した。「4A(4回転半)も含めて、絶対に勝ちを取りにいきたい」。闘志がたぎってきた。

ソチの開会式は現地のテレビで見た。平昌は負傷明けで回避した。今回も出席しないが、昨年末に「五輪って、やっぱり発表会じゃないんですよ。やっぱ勝たなきゃいけない」と力説した場所に間もなく戻る。4回転半も含め、羽生の一挙手一投足が北京五輪のハイライトになる。【木下淳】

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▽羽生結弦のオリンピック

◆14年ソチ五輪VTR SPで101・45点をマークし、世界最高かつ史上初の100点超えで首位に立った。フリーでは冒頭の4回転サルコーで転倒するなどミスがあったが、SP2位のチャン(カナダ)もジャンプで精彩を欠いて得点は伸びず。2位のチャンに4・47点差をつける合計280・09点で金メダルを獲得。男子シングルでアジア勢初の金メダル。団体ではSPで1位と貢献したが、日本は5位だった。

◆18年平昌五輪VTR 17年11月のGPシリーズNHK杯の練習中で右足首を負傷。出場も危ぶまれたが団体は回避して個人に専念。約4カ月ぶりの実戦となったSPは全てのジャンプをきめて111・68点の首位。フリーでも大きなミスはなくまとめた。SPで出遅れたチェンはフリーで猛追も及ばず。羽生は2位の宇野に10・95点差つける合計317・85点で、同種目66年ぶりの五輪連覇。冬季五輪の個人種目で、日本人の連覇は史上初だった。

▽羽生結弦・平昌オリンピック(五輪)以降の歩み

◆18年 平昌五輪で2連覇を達成も右足首負傷の影響で3月の世界選手権を欠場。11月のフィンランド大会、ロシア杯とGPシリーズ連勝も、右足首負傷で12月のGPファイナルと全日本選手権を欠場した。

◆19年 3月の世界選手権フリーで世界初の4回転トーループ-トリプルアクセルの連続ジャンプを決めるも、世界最高点のチェンに敗れて2位。10月のカナダ杯、11月のNHK杯でGP連勝も12月のGPファイナルではチェンに及ばず2位。全日本選手権も2位。

◆20年 2月の4大陸選手権で優勝。男子で初めて主要国際大会6つをすべて制するスーパースラムを達成。12月の全日本選手権で5年ぶりに優勝した。

◆21年 11月のNHK杯、ロシア杯を右足首負傷の影響で欠場。12月の全日本選手権はフリーで4回転半ジャンプに挑戦するなどして大会を連覇。3大会連続の五輪代表に選出された。