フィギュアスケートの団体で日本が初の銅メダルを獲得した。3位で迎えたペアフリーで三浦璃来(20)、木原龍一(29)組(木下グループ)が自己ベストの139・60点。5チーム中2位とし、2種目を残して表彰台を確定させた。アイスダンスのフリーダンス(FD)は小松原美里、尊の夫妻組(倉敷FSC)が5位、女子フリーは坂本花織(シスメックス)が2位で順位点は63点。ROC(ロシア・オリンピック委員会)が74点で金、米国が65点で銀メダルを獲得した。

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「りくりゅう」はその瞬間を取材エリアで迎えた。145センチの三浦が台の上に立ち、174センチの木原と同じ目線で話していた時、ペア2位で表彰台が確定した。「すご~い! やった~!」。拍手をしながら跳びはねた三浦の隣で、14年ソチ、18年平昌大会を経験した木原がかみしめた。

「過去2大会は『出させていただいている感じ』がものすごく、チームメートに申し訳ない気持ちがあった。フリーで9点(2位)を取れたのはうれしいですし、8年間、悔しかった思いを晴らせたと思います」

3年前の19年1月下旬、木原は絶望のふちにいた。パートナーを頭上で投げる「ツイストリフト」でキャッチの際、相手の肘が頭部左側に当たった。脳振とうで2カ月ほど、滑れなかった。シングルからペアへの転向はソチ五輪前の20歳と遅く「センスがないな。選択は正しくなかったのかな」と後悔した。

当時のペアを解消し、3月上旬に拠点の米国から帰国。地元愛知のリンクで貸し靴のアルバイトをした。「なんで自分はこんなことをしているんだろう。シングルで全日本(選手権)、国体を目指して、やめようか」。五輪2大会連続出場の男が、キャリアの終わりを考えた。

三浦にとって木原は雲の上の存在だった。同年春に前のペアを解消。共通の友人だったアイスダンスの小松原美里に相談すると「龍一くんって優しいんだよ。人柄も良くて、熱心だよ」と薦められた。7月のトライアウトを経てペアを結成し、カナダに渡った。新型コロナウイルスの影響で20年1月から1年3カ月帰国できず、ホームシックになった。それでもマルコット・コーチの「世界トップ10になれる」という言葉を信じ、2人で励まし合った。

この日の演技後、三浦は木原にささやいた。「怖かった」-。初の五輪。9歳上の木原とこれまでの歩みを信じ、2本のスロージャンプを降りきった。カナダの応援席では練習仲間が立ち上がり、さけび、拍手を送ってくれた。木原は銅メダルの価値を言葉にした。

「やってきたことに自信を持っていた。結果を出すことで注目していただき、ペアの人口を広げることにつながるかなと思います」

18日からは個人戦が始まる。五輪を堪能する時間は残されている。【松本航】

○…アイスダンスで初出場の小松原組が「りくりゅう」と共闘を喜んだ。FDは5チーム中最下位の98・66点にとどまったが、米国出身で日本国籍を取得した尊は「今日はノリノリで滑れた」と手応えを口にした。妻の美里は三浦、木原組のペア結成に携わり「2人がしんどかった時の顔をすごく覚えていた。精神的にちょっとでも助けられていたらいいな」と涙を流した。