五輪初出場でショートプログラム(SP)15位だったの河辺愛菜(17=木下アカデミー)は、フリー104・04点で合計166・73点だった。

「X JAPAN」のYOSHIKI作詞・作曲「Miracle」が会場に響く。冒頭、SPで転倒したトリプルアクセル(3回転半)はステップアウトするもこらえる。だが、3回転ルッツで転倒。3回転ループはきれいな着氷をみせたが、3回転ルッツで転倒。ダブルアクセルからの3連続ジャンプは着氷。3回転フリップも手をつくが、3回転サルコーは成功した。

演技後は悔しげな表情。フリー自己ベストに30点近く及ばず、笑顔を見せることはできなかった。

「このような演技しかできなくて、すごく申し訳ない。緊張した場面でも失敗しないよう、強くならないと」と自らに言い聞かせるに話した。

1通の手紙を送ったことが始まりだった。

「浜田先生に教わっている選手はスケーティング、表現、ジャンプ、全てそろっています。そういう選手になりたいです」

18年春、生まれ育った名古屋に父を残し、母、弟と関西に引っ越した。師事したのは宮原知子、紀平梨花らを育てた浜田美栄コーチ。それまでと跳び方は大きく変わり、初めは3回転ループで転倒することも多かった。関西1年目の18年は西日本選手権のジュニア女子SPで40・38点の28位。今からわずか3季前、全日本ジュニア選手権どころか、予選となる大会のフリーにさえ進めなかった。

「『前の(跳び方)に戻したい』という時もあったけれど『言われたことをやった方がいい』と言い聞かせました」

小さなことから見直した。ループだけでなく、苦手だったルッツも「3回続けて成功しないと次にいかない」と連続3回転にすることを意識。そこに浜田コーチの指導で始めたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が加わった。習得後も精度は高くなかったが、1年後の全日本ジュニア選手権で一気に初優勝。ユース五輪、世界ジュニア選手権を経験し「世界」を意識し始めた。

この日の公式練習では3回転半の調子が上がらず、6本連続で転倒。それでも逃げることなく、果敢に挑んだ。21年全日本選手権で3位に入り、つかんだ初めての五輪はほろ苦いものとなった。

「出るだけでなく、上を目指せるように4年間、必死に頑張っていきたい」

21歳で迎える4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会へ、北京は通過点となった。