不世出のマラソンランナーがいた。走ることに、日の丸を背負うことに命を懸け、27年の生涯を疾風のごとく駆け抜けた円谷幸吉。ちょうど50年前の64年10月21日、国立競技場で3位表彰台に立ち、神宮の秋風にたなびく日の丸を、誇らしげに翻らせた。陸上で戦後初のメダル獲得。その首にかけられた、わずか約70グラムの銅メダルがズシリとのしかかり、英雄の運命を分けた。歓喜と悲劇、自衛隊員としての誇りと責務-。関係者の証言を基に、検証してみる。(敬称略)

 午後1時。号砲とともに24歳、ゼッケン77の円谷が勢いよく飛び出す。それが3年あまり後、人生の幕を下ろす引き金になるとは、誰も知るよしはない。気温18・8度、湿度78%の薄曇り。8日間の最後を飾る陸上競技の華は、絶好の条件下、火ぶたが切られた。

銅メダルに輝いた円谷は係員に体を支えられる(64年10月21日)
銅メダルに輝いた円谷は係員に体を支えられる(64年10月21日)

 レースはアベベの圧勝だった。世界最高記録で五輪を連覇したエチオピアの英雄が、悠然と整理体操を始めて約3分。マラソンゲートに8万大観衆の目が注がれる。円谷だ。163センチの小さな体、ゆがむ顔。痛々しげなまでの姿に、陸上界の重鎮も、誰はばかることなく号泣した。

 野崎忠信(75)の証言 円谷さんが入ってきた時、あの織田さんがボロボロ泣いていた。周りの役員も悲鳴を上げてました。

 出発合図員だった野崎は至近距離の役員席にいた、織田幹雄の感極まった姿が忘れられない。日本人初の五輪金メダリストにして東京五輪陸上総監督、何より代表選考で円谷を十数人の候補から選出した男の涙。

 「円谷来ました。円谷見えました。後方にヒートリー。頑張れ、円谷!」。NHKアナウンサー北出清五郎の、悲鳴に似た実況だ。背後にピタリと付く、ヒートリー(英国)との勢いの差は歴然。第2コーナーで10メートル、そして運命の第3コーナー。残り約170メートル、わずか30秒ほど前の歓喜は一転、悲鳴に変わる。

 北島正市(88)の証言 (選手係として)3000メートル障害の水濠付近、ちょうど目の前で抜かれるところにいました。『危ないぞ』『近づいたぞ』…。そんな絶叫や悲鳴、興奮や怒号が、すり鉢の底で渦巻いていたというか…。

 世界最高記録保持者として臨んだヒートリーと、初マラソンからわずか7カ月の円谷。勢いの差を当時、監督就任8年目で順大を強豪に育てた、陸連のご意見番も見逃さなかった。

 帖佐寛章(83)の証言 民放テレビの解説者としてスタンドで見てたけど、ヒートリーはゆとりがあった。円谷君はフラフラで意識がなかったのでは。入賞はしたと思っても、順位までは分からなかったんじゃないかな。

 落胆に似た空気に包まれる中、メダル獲得に歓喜する一団があった。バス2台で円谷の地元、福島・須賀川から駆けつけた親族たちだ。レース後、各所から情報収集した円谷家三男は、ラップ表を手に50年前の出来事を、昨日のことのように述懐した。

 円谷喜久造(82)の証言 40キロ地点でヒートリーとは75秒差で、100メートルのラップはヒートリーが19秒で幸吉が23秒。抜かれた所も最終タイムもピッタリ合う。40キロで力尽きたのでしょう。とにかくゴールしてくれと。第4コーナーあたりで(英国)キルビーが入ってきたけど3位は間違いない。願いはゴールでした。

 それまで陸上は、円谷の1万メートル(6位)、依田の女子80メートル障害(5位)の入賞が最高だった。最終日にして開催国の面目を保つ、輝くメダル。同時にそれは、銀から銅に色が変わった敗北のメダル…。称賛されてしかるべきが、誰より円谷がそう背負ってしまった。あの悲鳴と落胆の叫声が、そうさせたのだろう。

 それほど国民の期待は大きかった。約175万人で埋め尽くされた甲州街道。25キロ地点にいた給食係・脇徹(80)は「『日本はダメか』と思った時、円谷さんが来た。沿道の観衆が飛び出さないように押さえるのに必死でした」。折り返し記録員の井口輝男(81)も「さすが自衛隊員。最後まで力を出し切る軍人的責任感というか国民的英雄です」と述懐する。【渡辺佳彦】

64年東京五輪マラソン成績
64年東京五輪マラソン成績

 ◆64年東京五輪マラソン展開 68人が参加(完走58人)。連覇を狙うアベベはクラーク(9位=オーストラリア)ホーガン(途中棄権=アイルランド)と10キロを30分14秒のハイペースで通過。20キロまでに揺さぶりをかけ独走態勢を築く。後続との差を25キロで10秒、30キロで40秒、35キロで2分26秒と広げ世界新で優勝。「競り合う相手がいれば10分台も出せた」と豪語した。4位で折り返した円谷は30キロまでにクラーク、35キロ過ぎてホーガンとシュトーを抜き2位に。最後に抜かれたが銅メダルを獲得した。君原は入賞圏外の8位(当時入賞は6位まで)、寺沢は15位だった。

(2014年7月30日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。