<フェンシング女子サーブル日本代表 江村 美咲(19)>

 オリンピックには、悔しい記憶があります。2年前のリオデジャネイロ大会。私は年間世界ランキングで4ポイント足りず、代表に選ばれませんでした。バックアップメンバーとしてリオに入り、出場した青木(千佳)先輩の練習相手をしていました。試合は客席で応援してましたが「私が出ていたら…」と、先輩が1回戦で敗退するのを悔しい思いで見ていました。

 8歳の時、父(宏二さん=88年ソウル五輪代表、08年北京五輪日本代表監督)がやっていた大分のフェンシングクラブで遊んでいて、なんとなく始めました。最初はフルーレをやっていましたが、12歳の時、優勝景品のウサビッチの1000ピースパズルがほしくて小さなサーブルの大会に出たら、優勝したんです。直後にフルーレをやめ、サーブル一本にしぼりました。

 サーブルはフルーレと違って、切ったりする動作があってダイナミックで、楽しかった。もしフルーレを続けていたら、フェンシングをやめていたかもしれません。中学生になって本格的にやったけど、いつも3番でした。どうしても上位2人に勝てない。その後、国内では優勝しても、世界の大きい大会では決勝までたどり着けない。カデットの世界選手権(13~15歳)では最高が3位、ジュニア(16~18歳)大会は8強に2回入っただけです。

 変えなきゃ―。私は長距離走が苦手で、代表の5キロ走は、最初は先輩たちに1周以上の遅れを取っていたけれど、今は最後まで食らいついています。昨年7月の世界選手権(ドイツ)前の国内合宿(2週間)では毎日9時間の練習を消化しました。走り込んだし、夜は2時間ずつ映像を見ながら研究もしました。試合会場に入った時は「出場している選手の中で私が一番練習している。私より練習している選手はいない」という充実感も味わいました。

 1月の米国W杯で2位になったんですが、準決勝で腰に痛みが出て、決勝では思うようなフェンシングができなくて残念でした。それでも、今後に向けての手応えはつかんだ気がします。帰国して検査したら疲労骨折でした。今はリハビリに集中しています。

 2年後の東京五輪では、個人より団体戦で金メダルを取りたいです。今までは「自分さえ結果を出せればいい」という思いが強かったんですが、昨年の台北ユニバーシアード大会で団体戦で優勝し、みんなが力を合わせて戦うことの素晴らしさ、楽しさが分かったんです。まずは腰をしっかり治して、2年後には団体でも個人でも頂点に立てるように、誰よりも多く練習して臨みます。

(2018年3月7日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。