日本サーフィン連盟は、来年で創立55周年を迎えます。東京オリンピックで追加種目となり、世間からは急にポンと出てきたイメージはあるかもしれませんが、実は積み重ねてきたものがあります。

二十何年前かな。飯尾進さんが理事長だった時、メディアのインタビューで「オリンピック種目」という言葉を口にしていました。追加種目になったのは夢のまた夢みたいな思いですが、先輩たちが築き上げてきたところに私たちがいるという感じです。先輩たちの努力には感謝しています。

連盟に登録している支部が現在、全国に70ほどあります。1966年に第1回全日本選手権が行われたころは、湘南と鴨川にしかありませんでした。そこから徐々に九州や四国からも、登録するチームが増えました。1964年に1回目の東京五輪。その2年後に初めて日本選手権が行われたサーフィンが、次の東京五輪で追加種目となったのには、すごく縁を感じています。

スポーツとしても地域から認められるようになりました。私がサーフィンを始めたころは、若い子たちの遊び、不良の遊びみたいなところもありましたが、今はスポーツとして伸びています。

例えば日本選手権に出場する時も、学校に公欠願を出すとちゃんと通りますが、最初のころは全然ダメ。世界選手権の日本代表に選ばれた選手の学校に行き、公欠願を出したら通らなかった時もありました。でも今は地元の教育委員会から、サーフィン教室をやって欲しいという依頼も来るようになりました。

国際サーフィン連盟の人と話すと、すごくプレッシャーをかけられます。「ここでの成功がないと次につながらない」と。彼らの言う成功は、波のクオリティー、イベント性、あとサーフィンの魅力を一般の人にどれだけ伝えられるか。ただ僕らは、それにプラスして日本選手のメダル獲得が目標です。

と言いながらも、何をもって成功と言えばいいか、まだ分かりません。でもまずはやっぱり、波かもしれません。自然相手なのでどうしようもないですが、世界のトップ選手に日本の波は素晴らしいなと思ってもらいたい。そして日本選手がメダルをとる。そうやって日本でもメジャー競技となり、一般の人がサーフィンの試合を見る機会が増えればいいかなと思います。(262人目)