4年に一度のオリンピックとは、競技人生に区切りをつける舞台でもある。

8月1日に行われたテニス男子ダブルス準々決勝に敗れ、アンディ・マリー(37=英国)が現役生活にピリオドを打った。

シングルスで12年ロンドン、16年リオデジャネイロで金メダルに輝いている。観客に両手を上げて手を振った。その目は潤み、惜別の念が充満していた。体はもう限界だった。

多くのケガと闘い、2019年には人工股関節挿入手術も受けている。体はもう限界だった。

ユーモアに富む男は試合終了後、すぐX(旧ツイッター)にこう書き込んだ。

「Never even liked tennis anyway.(ともかく、テニスが好きだったことは一度もない)」

Xのアカウントの経歴は「I play tennis」から「I played tennis」に変更されていた。変わり身の早さには笑うしかない。

同じテニス界では、38歳のラファエル・ナダル(スペイン)も現役引退の可能性が高まっている。「赤土の王者」と呼ばれ、全仏オープンの舞台、ローラン・ギャロスで14勝。パリ五輪では既に敗退しており「ローラン・ギャロスはこれが最後かもしれない」と区切りを示唆している。

ほかの競技に目を向けても女子サッカー界のレジェンド、ブラジルの38歳マルタが今大会で引退する。1次リーグ最終戦で危険な肺タックルを見舞い退場処分となったマルタは、準々決勝のフランス戦に出場停止。チームが負ければ“ラストマッチ”がないままに終了となる。

残酷だが、これもまた人生である。栄光を手にしたアスリートたちの最後が、必ずしも思い描くようなハッピーエンドに終わらないのが常である。

取材者としてアスリートの“最後”に立ち会ったことがある。思い出すのは、2012年6月8日の陸上日本選手権。ロンドン五輪を懸けたレースに、当時34歳の為末大は挑んでいた。

世界選手権で2度の銅メダルを獲得したかつての英雄は、4度目のオリンピックを目指していた。当時、満身創痍(そうい)だった。アキレス腱(けん)の痛みに苦しみながら、「侍」と呼ばれた男はどこまでもストイックに競技と向き合っていた。

その予選で、1台目のハードルに足を引っかけた。体は1回転し、地面にたたきつけれた。あまりに壮絶な場面だった。それでも最後まで走りきった。57秒64の最下位。令和の今も破られていない47秒89という自己ベスト(日本記録)からは約10秒も遅れていた。残酷なまでの散り際だった。

そのレース直後、すっきりした表情でこう口にした。

「ひと言で言って、気が済んだと」

シンプルだが、これほど的確に区切りを表現した言葉は知らない。

栄光を知るアスリートは、過去の自分と闘い続けている。まだ自分は終わっていない-。明日になったら痛みが消えているんじゃないか-。希望の火を灯しつつ、自らとの対話を続ける。そこに第三者の言葉は届かない。自分自身が、アスリートとしての自分と最後にどう折り合いをつけるのか。それしか、すべはない。

アスリートの散り際には各々の美学がある。

「ともかく、テニスが好きだったことは一度もない」

誇り高きマリーの強がりは、やり切ったからこそのひと言。そこには競技へのあふれんばかりの愛を覚えた。【佐藤隆志】