「メンタルの格闘技」。卓球はこう表現される。
7日に行われた男子団体戦準決勝の日本対スウェーデン戦。世界ランキング9位の張本智和の姿を見て、その言葉を実感した。
エース対決となった2試合目で今大会のシングルス銀メダリスト、世界ランキング10位のモーレゴードとがっぷり組み合った。1球、1球に込められた気迫と技術。すべてにおいて相手を凌駕(りょうが)し、まさに力ずくで勝ち取った。
2勝2敗で最終の5試合目。満を持して張本が登場した。相手はカールソン、世界ランキングは61位。モーレゴードに勝った張本ならあっさり勝負を決めてくれるだろう。そう思っていた。2ゲームを連取。順調だった。あと1ゲーム。ここから歯車が狂った。
カールソンの粘りに遭い、2ゲームを奪われるともう流れを止められなかった。自信に満ちあふれていた張本の表情には焦りの色が浮かんだ。痺れるような1点を争う大接戦。そして押し切られた。まさかの大どんでん返しだった。
「もう意味わからないです今…。この現実を受け止める方法は…」
張本の率直な言葉がすべてだろう。2ゲームまでは完璧だっただけに、この急変ぶりには誰も説明がつかない。ただスウェーデンが強かったのは紛れもない事実。瀬戸際に追い込まれても、チームとしての闘う姿勢はすごかった。まさしく“格闘技”だった。
張本の姿から、追われる者の立場の難しさを思う。この日の相手とのランキング、試合状況の上でも追われる立場にあった。張本に慢心や油断はなかったはず。むしろ自らの心に負荷をかけ過ぎたのではなかろうか。エースという重責。自分が決めなければという強い責任感。結果への怖さが頭の中にあっただろう。また、東京五輪の水谷隼のような精神的支柱がいなかった側面は見逃せない。若きチームゆえ、21歳の大黒柱は一人で多くのものを抱えすぎているように映った。
「3人枠」という限られた卓球の団体戦には決して当てはまらないことだと断っておくが、人数枠に比較的にゆとりがある団体スポーツ(ラグビーやサッカー)の場合、ワールドカップのような大舞台を戦うにあたり意図的にムードメーカーを入れてくる。技術に優れた選手ですべての枠を埋め切らない。チームにプラス効果をもたらす選手を組み込んでおく。強いチームの組織論。酸いも甘いも知るベテラン選手が持ちこむ「妙」は、チームの大きなエッセンスとなる。
翻って、パリで苦闘している張本(混合ダブルス初戦敗退、シングルス準々決勝敗退)の姿を見ると、あらためて人生とは思い通りにならないものだと感じている。
今回のオリンピックの舞台、フランスの有名な人生訓として「ケセラセラ(Que Sera, Sera)」がある。「なんとかなる」「なるようになる」という意味だ。
勝つこともあれば負けることもある、人生とはそういうものさ。何事にも悲観せず、少し楽観的に今を生きる。この言葉を聞くとどこか肩の力が抜け、気持ちが軽くなる。
まだ3位決定戦が残っている。闘志あふれる張本の卓球は好きだ。しかし、あまり結果にとらわれず、ここは「ケセラセラ」といこう。【佐藤隆志】



