【パリ3日(日本時間4日)=木下淳、藤塚大輔】日本フェンシング界に、ついに3種目のメダルがそろった。

世界ランキング8位の日本が同1位の開催国フランスを45-40で破り、初めて銅メダルを獲得した。フルーレ、エペに後れを取ったが、この競技が52年ヘルシンキ大会で五輪に初参加してから72年目。「サーブル初」を、個人で世界選手権2連覇の江村美咲(25=立飛ホールディングス)を中心に成し遂げた。黄金期の日本。最終日の男子フルーレ団体も決勝に進出。今大会、出場した全4種目の団体で表彰台に立った。

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初メダルを引き寄せる一撃は「斬り」にした。初めてサーブルの試合に出た12歳の時、突きでなく、この種目にだけ許される技が楽しかった。45点先取の団体戦。41-40の最終第9試合でアンカーを任され、個人銀のバルゼから4連続ポイントで決めた。試合中、剣を握る方の右肘を痛めた。治療中、地元フランスを後押しする国歌の大合唱も浴びた。「怖かったけれど、仲間が背中を押してくれた」。絶叫し、背中を弓のようにして歓喜を表現した。

88年ソウル五輪代表の父宏二さんが、日本代表監督時代の14年前、世界選手権に出場した会場がグランパレ。同じ聖地で種目初メダルを手にした。試合中も、ピスト(競技台)からジェローム・コーチに笑顔を見せた。楽しめた。個人戦の思い詰めた顔はなかった。あの感染症が流行した東京五輪前、アジア人で「コロナ」と呼ばれた日もあった欧州の地。この日は世界1位フランスをホームで倒す悪役になっても拍手が送られた。本場で認められた。

21年。盛大に国内初のプロ転向を宣言も、夏の東京五輪は3回戦で散った。「やり尽くした。あとは何をすればいいの」。泣いて燃え尽き症候群になる。軽井沢へ逃避行。考え方を変えた。髪を金色に染め、オフの練習を禁じた。「20%疲れが残れば、休み明けに80%しか練習できない。完璧主義はやめる」と決めた。

翌22年の世界選手権から2連覇。太田雄貴も1度だけで日本初だった。「ミス日本」特別賞にディオールの世界大使、競技を超えたアイコンになった。日本選手団の旗手も任された。個人戦まで中2日の大役だったが「光栄。フェンシングを知ってもらうために」受諾した。当日は大雨。ずぶぬれで6時間超も「影響はなかった」と気丈だった。ただ、金の最有力とされた個人戦は3回戦で散った。

「自分が弱い」と言い訳なしも、再び「完璧主義」に陥っていた。“日本に帰れない”と言葉にしてしまいそうなほど落ちたが、あえて選手村からパリの街に出て食事し、開き直った。

「正直苦しかった。ずっと苦しかった。今日もずっとずっと迷って、何が正解か分からないまま、もがいてもがいて。最後にみんなと勝てて、うれしかった」

負ければ、また4年間「メダルなし種目」と言われる。孤高だったエースは高嶋理紗、福島史穂実、尾崎世梨に頼り、頼られて「エベレスト」と称されるフランスを倒した。「目標は金だったけど、それ以上に価値ある重いメダル」。江村が花の都で美しく咲いた。