世界ランク2位の日本(早田ひな、平野美宇、張本美和)が、4連覇中の同1位中国(孫穎莎、陳夢、王曼■)に挑戦する。

今大会の団体の戦いをコート脇で見守り、ベンチから時に拍手、時に優しくほほえむ男性がいる。

渡辺武弘監督(62)は自身も88年ソウル、92年バルセロナ大会と、五輪に2度出場したオリンピアンだ。

埼玉・熊谷商業高から明治大へ進み、名門の協和発酵(現協和発酵キリン)に入社した。2度の五輪を経験し、現役を退いたのは34歳。上司の「34歳で新しい仕事を始めて、いきなり大きな市場では苦労するだろう」という配慮があり、最初は札幌で勤務をしながら空知のエリアを担当した。

月曜日に札幌から移動し、金曜日に戻ってくる生活。連絡手段はポケベル。30年近く前の記憶を「北海道にいたころは、思うようにいっていなかった」と振り返る。

焼酎、缶チューハイ、ワインなどを手に、卸問屋や酒屋を網羅した。夜、飲みに出かけると、都会に比べて、人がまばら。「なんでここにいるんだろう…」。星空を眺めながら自分に問いかけた日々を「すごくいい経験」と思い返す。

3年がたたないうちに、協和発酵の営業不振で東京に戻った。都内を担当し、事業所に戻ると日々の出来事を同僚や先輩に相談できた。仕事を覚えることが早くなった。

40歳だった02年、酒類事業がアサヒビールへと譲渡された。そのまま営業を続け、卓球からは離れた生活が続いていた。

「仕事では結構あくの強いお得意先を担当させてもらいました。押しが弱いので『お前が担当しておけばいいよ』という雰囲気。その中で上司が、要所要所で訪問してくれたことで助けられました。上司が社員の働きやすい関係作りをしてくれる。それは今にリンクし、参考になっています」

転機は40歳目前の11年だった。

縁があり、中部大から卓球部の指導を求められた。今も籍は同大学にある。

体育の教員をしながら、50~60人の部員を指導していると、日本卓球協会の前原正浩専務理事(70)から声をかけられた。

「恩返ししろ。卓球界を手伝えよ」

明治大、協和発酵の先輩に促され、最初は年に数回、育成部門で卓球の普及に携わった。

「ほとんどトップ選手たちと話すことはなかったです。卓球の技術的な部分からは離れていました」

21年東京五輪を終えると、同世代で女子代表の馬場(旧姓星野)美香監督(59)が強化本部長へと就任した。後任に白羽の矢が立った。中部大は「名誉な話。休職扱いで専念しなさい」と背中を押してくれた。

現在の日本女子卓球界のトップ選手は、選手を中心とし、コーチやトレーナーなど「チーム」を作って国内外を転戦している。

その姿を間近で見ていて「『邪魔しちゃいけない』というのがある。逆に環境を整えたい」と考える。自身のポリシーはぶれない。

「組織は順番。僕からいうと母体のコーチたちです。そこにしっかりと伝えて情報共有し、選手に伝えてもらう。何か気づいてもコーチに『これはどうなんですかね?』とお話しする。選手たちは『もうちょっと監督らしく指示してよ』と感じていると思いますが…。監督という意識はないです。選手たちが活躍する。それが一番いいはずです」

2月の世界選手権団体戦では、ベンチの伊藤美誠(スターツ)が仲間に助言する姿が話題になった。今大会もエースの早田を中心に、選手同士が密に話をする。振り返ってほほえんだ。

「代表選考レース中は、選手同士に距離感がありました。それが終わった世界選手権。団体戦では和が必要です。みんな試合に勝ちたいし、負けず嫌い。伊藤選手はベンチコーチの役割を理解してくれましたし、みんなの距離感が近づいたと思います」

代表監督は重圧がある。

「夜、寝られない日もある。寝てもすぐに起きてしまう。遠征から帰ってきたら疲れが出る。ずっと『ストレスに強い』と思っていたけれど、弱いのかもしれません」

解消の方法はあるのか。

「協和とアサヒビールで一生分飲みました。あんぱんとビールなら、あんぱん。それなりに飲めますが普段は晩酌しません。それだったら甘いあんぱんです」

五輪閉幕前日の10日午後3時(日本時間同10時)、圧倒的な強さを誇る中国に挑む。金メダルが懸かる大一番でも、きっと振る舞いは変わらない。【松本航】

※■は日の下に立