卓球女子団体の表彰式を終え、2大会連続銀メダルの平野美宇(24=木下グループ)の表情は穏やかになっていた。話題は今後のキャリアに。28歳で迎える4年後のロサンゼルス五輪前に、やってみたいことが浮かんでいた。「勉強にも取り組みたいです。次の4年は卓球だけでなく、その後も通用する人間になりたい。次の世代に経験を伝えるのも大事。人に伝える力をつけられたら、今後の卓球界にも大きいと思います」。

5月の第2日曜日、山梨県内の実家に贈り物を送った。タン、カルビなどが入った焼き肉セットと寝間着。母の日のプレゼントに「ママいつもありがとう。これでゆっくり休んでください」と添えた。母の真理子さんを「ふいに送ってきたのは初めてです」と驚かせた。東京五輪からの3年間、家族へのLINEでも「ありがとう」の文字が増えた。母は「パリを目指した3年で一気に親離れした」と感じていた。

東京五輪に向けた5年間は壮絶だった。補欠だったリオデジャネイロ五輪の翌17年1月、史上最年少16歳9カ月で全日本選手権優勝。18年の同選手権も準優勝を飾ったが、直後に心が折れた。「ラケットを持つだけで涙が出る…」。周囲からは「東京五輪に行けそうなのに、今やめたらもったいない」と諭された。山梨から都内へ駆けつけた母と焼き肉をつついた。母は卓球の楽しさを感じられなくなった娘の姿に「目が、死んでいる魚みたいだった。選手として死んでしまう」と思った。「やめてもいいんだよ。やめて山梨に帰っておいで」。その言葉で平野はひきこもり気味の状況、卓球を続ける将来、山梨に戻った場合の別の未来を想像した。1週間もしないうちに「やめたくない。オリンピックを諦めたくない」と決断した。

3年前、初めての五輪は団体要員。シングルス代表2枠争いは、最終盤で石川佳純に上回られた。東京への道は卓球での勝敗が全て。「ママとパパはこういう厳しい世界にいないから分からないんだよ」「『心が…』なんて言うけど、勝った人が正義なんだよ」。全日本女王で、女子でわずか3人の五輪代表。次世代に憧れられる立場だが、目の前の結果ばかりに視線は向いた。

「東京までは自分のことだけだった。先輩に引っ張っていってもらっていた」。パリへの3年間は心を鍛えてくれた。約2年の選考レース。序盤は出遅れ、22年夏の対象大会の組み合わせ順は24人中14番目。母に電話すると「14番目の女じゃん。誰も優勝候補と思っていない。14位より上だったら成果だよ」と励まされ、挑戦者の気持ちになった。選考レース最終盤に伊藤美誠と競った時も「自分の人生は自分で決める」と言い聞かせた。

正念場だった23年12月、中国・成都での混合団体W杯。出場理由を問われ「中国選手はTリーグにも来て、お世話になっている。日本や自分が出ないことで、来てくれなくなると、日本卓球界にとっても良くない。自分が勝つことも大事ですが、卓球界が盛り上がることも大事」と言い切った。視線は卓球界に向いた。「東京までは、すごく苦しい5年間。この3年間は卓球も大事にしながら、視野も広がった。人間的にも成長できた3年間でした」。2つの銀メダル。異なる価値があった。【卓球担当=松本航】