開会式の聖火がまぶしかった。

 頻発するテロの恐怖や、日本を襲う天変地異の不安を、すべて蒸発させてしまうような強い光と熱だった。色彩に満ちた饗宴(きょうえん)とサンバの享楽のリズムが、人々の心をせわしない日常から解き放つ。米国もロシアも北朝鮮も同じ空気を吸っているのだ。五輪が放つ光景はまばゆすぎる。それが私には怖い。

 4年後、東京でも同じ聖火がともせるだろうか。

 ちょうど80年前の1936年、ベルリン五輪のメインスタジアムにも聖火が燃えていた。サッカー日本代表は優勝候補のスウェーデンを蹴散らして「ベルリンの奇跡」を起こし、競泳女子200メートル平泳ぎでは前畑秀子が日本女子初の金メダルを獲得。「前畑ガンバレ」のラジオ実況に列島が熱狂した。開会式前日に4年後の40年東京五輪開催が決まり、選手らは特別な思いで聖火を見ていたに違いない。だが、東京に聖火はこなかった。戦争という時代と重なったのだ。「ベルリンの奇跡」でゴールを決めた主役たちも、戦火に若い命を散らし、2度と聖火を目にすることはなかった。

 76年のモントリオール五輪で閉会式を実況したNHKの西田善夫アナウンサーは、最後をこんな言葉で結んでいる。「4年後も五輪が開かれる平和な世界でありますように」。昨年の日本スポーツ学会で後輩の刈屋富士男アナは、「西田さんは、4年に1度、集まって五輪をやろうと世界中が思わないと、五輪なんてあっという間になくなると話していました」と明かした。

 4年後、その暗示が現実となる。日本人に五輪はこなかった。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した米国をはじめとする西側諸国が、80年のモスクワ五輪をボイコットしたのだ。日本も米国に追従した。

 リオの聖火が東京でも同じ光を放つかなど、実は誰も予測できないのだ。テロが世界各地に拡散し、隣国は核兵器をちらつかせ、米国では排他思想の実業家が指導者の地位を狙っている。国内では大きな地震も頻発している。世界は不穏な混沌(こんとん)へと向かいつつある。だからこそ、私たちは何としてもリオの聖火を東京につなげなければならない。【首藤正徳】