正直に言うと、目を疑った。競泳男子800メートルリレーの銅メダルである。あの64年東京五輪以来の快挙を、まったく予期していなかったからだ。

 52年前、地元開催で沸いた五輪で、日本は確かにこの種目で同じ色のメダルを手にした。しかし、それが競泳唯一のメダルだった。日本人にとって惨敗という現実の中のほんの小さな記憶でしかない。その影薄かったメダルにも、彼らは再び光を当てたのだ。それがまたうれしい。

 約半世紀前のあの苦い経験が、まさに今の飛躍につながっている。古橋広之進らが築いた「水泳王国」の誇りは、あの大会で打ち砕かれた。高校や大学、実業団で鍛えた選手たちは、スイミングクラブで育った欧米の選手に太刀打ちできなかった。4冠のドン・ショランダー(米国)はまだ18歳だった。大会後、王国復活へ日本は競技環境の大胆な改革に踏み切る。民間クラブの設立だった。

 65年、資金調達のあてもない中、東京や大阪に相次いでスイミングクラブが誕生した。日本代表の村上勝芳監督も東京・代々木のプールで子どもの水泳教室からやり直したと聞く。年間を通じて室内プールで幼児期から一貫した練習ができて、学校の部活ほど上下関係にしばられない。子どもの「習い事」としても重宝され、70年代に入ると企業も参入して民間クラブは全国に広がった。

 88年、ソウル五輪の男子100メートル背泳ぎで鈴木大地が金メダルを獲得した。それがさらなる転機になった。民間クラブで育った選手が世界で頂点に立ったのだ。その快挙はスイミングクラブの成功例として、現場のコーチや選手たちの目の色を変えた。4年前の日刊スポーツの取材で鈴木氏はこう話している。「海外のコーチにお前のせいで、日本が強くなって困るよ、って言われますね」。

 現在、日本には1000を超えるスイミングクラブがあると言われる。萩野公介、瀬戸大也をはじめ、リオの代表選手のほとんどがそこから育った。リオの快進撃は52年という長い時をかけて成就されたのだ。私は泣きながら抱き合う4人を見ながら、遠い先の「王国復活」のために、子どもたちの指導に真摯(しんし)な情熱を注ぎ、タスキをつないできた先人たちに感謝した。【首藤正徳】