日本柔道男子の長かった下り坂が、ようやく上を向いた。最重量級の原沢久喜は金メダルこそ逃したが、無敵王者リネールを土俵際まで追い込んだ。金と銀の差は「指導1」という紙一重。五輪史上初の金ゼロに終わった前回ロンドン大会で、日本の重量級は無残に砕けた。稽古量や精神力では追い付けない差を突きつけられた。あの惨状からわずか4年。原沢には胸を張って笑ってほしかった。

 2つの金よりも4つの銅メダルに日本の変化を感じる。64年東京五輪で正式競技に採用されて以来、日本は創始国として「金以外はメダルにあらず」の意識に支配されてきた。一敗地にまみれると目標と気力を見失い、敗者復活戦で本来の実力を発揮できない選手が多かった。井上康生も鈴木桂治も連敗して銅メダルを逃した。だが、今回は4人とも短い時間に1度は消えた闘志に再び点火した。

 最初に銅メダルを獲得した60キロ級の高藤直寿が、表彰台で笑顔でガッツポーズした。これはすごいと感心した。柔道の表彰式で銅メダルを手に喜ぶ日本選手など見たことがなかったからだ。「応援してくれる人たちのために、情けない顔をしないで堂々としていよう」(高藤)という心の底からの歓喜ではなかったが、この姿が選手たちを縛り付けていた「金以外はメダルにあらず」の呪縛を緩めたのかもしれない。

 試合後の選手の言葉からは、井上康生監督の求心力も伺えた。金メダルを取った大野将平は「井上ジャパンの一員として誇りを持って戦えた。監督と会ったら泣けてきました」と話し、大野に続いたベイカー茉秋も「井上監督に今までの恩を返せて良かった」と語った。問題行動を起こした代表選手を厳罰に処すとともに、自らも丸刈りにした監督の逸話も聞いた。上から目線で威圧するのではなく、選手の胸に飛び込んだ熱血指導。そうして築いた一体感も、7日連続のメダルにつながったのだろう。

 04年アテネ五輪で連覇を目指した井上は惨敗を喫した。しかし、チームとは一緒に帰国せず、日本選手団の主将として現地残留を志願した。大会後半の野球、女子レスリング、シンクロ、ホッケーなど各競技の会場を回って、声援を送った。畳の上を離れて、胴着を脱いで、新鮮な空気を吸った。あの12年前の経験も、今に生きているような気がしてならない。【首藤正徳】(敬称略)