<リオ五輪:トランポリン>◇13日◇男子決勝

 「ここに立てたことがうれしかった」。トランポリン男子で6位になった伊藤は涙を隠さなかった。前回ロンドン大会4位、リオで目指した金メダル獲得はならなかった。それでも「今はすがすがしい思い。周りに感謝したい」と言った。

 悪夢に襲われたのは、大会まで1カ月を切った7月15日だった。試技会で腰を痛め、そのまま車いすで運ばれた。ぎっくり腰。「これまでも経験しているし、とても間に合わないと思った」。中田大輔コーチと連絡を絶ち、日本協会には代表辞退を申し入れた。「元気な選手が出た方がいいと思った」。

 伊藤自身は五輪をあきらめたが「周りがあきらめてくれなかった」。中田コーチはトレーナーらとプロジェクトチームを作って復帰をサポート。山本宣史強化本部長も「代えるつもりはなかった。伊藤が出ることがチームのために大切だと思った」と振り返った。

 伊藤が長く日本のトランポリンを引っ張ってきたのは誰もが知っている。山本氏は「みんな彼の背中を見てきた。若い棟朝にとっても、その背中が必要だった」。練習再開は2週間後だった。メダルを狙える状態ではなかったが、チームにいることが大きかった。

 「自分の力は出せなかった」。上位の点数が伸びず、普通に演技できればメダルの可能性は高かっただけに悔しさはあるはず。それでも伊藤は「よくここまで来られた」。ケガに見舞われたのは不運だった。しかし、それを乗り越えたからこその充実感はあった。

 その背中に引っ張られた棟朝がメダルに迫る4位になった。「東京(五輪)へは棟朝が引っ張り、メダルへの壁を越えてほしい」と後輩に託した後、「僕もまだいますけど」。その顔に初めて笑みがこぼれた。【荻島弘一】