高藤直寿(23=パーク24)の銅メダルが決まった瞬間、スタンドの志津香夫人は、あふれる涙をハンカチで必死に押さえていた。自身も同じ柔道の元強化選手。信じ続けた夫が逆境をはね返す力強い姿を見せてくれた。

 まっすぐな人だった。出会いから畳の上のような攻勢一辺倒。高藤が初制覇した12年暮れのグランドスラム東京で試合を見た。未来の夫とは考えずツイッターをフォローするとすぐ、「(旧姓の)牧さんですよね」とメッセージが届いた。LINE(ライン)でも1日に何通も連絡が来た。返信が遅れると「なんで無視するんですか」と返ってきた。年末に帰省することを知らせれば「行ってもいい?」。返事をする前に高藤は新幹線に乗っていた。大阪では高校の同窓会に飛び入り参加した。「好きだ」という気持ちを素直に示す2週間あまりの多重攻撃で、一気に距離が縮まり、交際することになった。

 「ちゃらちゃらしている」。そんな評判だった4歳下の柔道家は、実際に付き合うと違う側面も見えてきた。「私の家にきて柔道のDVDをずっと見ていたりとか、研究ですね。ユーチューブで他の選手の試合を分析したりとか。こういうところが大切なのかなと」。我流を貫く基盤は、日々の絶え間ない準備にあった。

 13年に世界王者になり、成績も順調だった。子どもを授かったのを機に、14年6月に結婚した。1月のプロポーズでは高級貴金属店に入り、「なんか欲しいものある?」と突然のもごもご。高額に拒否反応を示すと「なんでもいいな」と1人で店内に戻って、指輪を買ってきた。実は故障が原因で直前に現役引退を決めた自分のことを守りたいと思ってくれていた。

 結婚直後の14年世界選手権で金メダルを逃した後にピンチが訪れた。強化指定の降格処分も重なり自暴自棄になった夫を信じて支えた。「甘えさせたら駄目だと思って。注意してくれるのは他の人ではなく家族が言わないと」。乱れた生活を我慢強く正していった。

 そのサポートに応えて立ち直ってくれた夫が、目標の大舞台で可能性の続く限りあきらめず戦った。「また、家族には迷惑をかけると思いますが、柔道に真剣にまじめに取り組んで必ず次のオリンピックでメダルを取ります」。柔道家として成長した姿が何よりの報いだった。