女子100メートルで日本記録保持者の福島千里(32=セイコー)が、4大会連続のオリンピック(五輪)を逃した。予選4組で12秒01(追い風0・8メートル)の5着となり、準決勝に進めなかった。16年リオデジャネイロ五輪後は両アキレス腱(けん)を痛め、直近2年は日本選手権出場もかなわなかった。集大成に位置づけてきた東京五輪を逃し、去就については「ここで何か考えられるところでもない」と明言を避けた。

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慣れ親しんだ景色は、そこになかった。3大会ぶりの日本選手権。福島は序盤こそ好位置につけたが、後半の伸びは影を潜めた。スクリーンを見ると、自分より上に4人がいた。「数十秒、何なら1日も持たずに日本選手権が終わるという失態を犯してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです」。身近で支え、背中を押してくれた人の顔を浮かべ、声を震わせながら謝った。

女子短距離界を背負ってきた。13年前の08年、100メートルで初の日本一。北京五輪の同種目出場は、日本女子として56年ぶりだった。「北京がきっかけで、世界をより身近に感じることができた」。11年から100メートルと200メートルで6年連続2冠。両種目の日本記録を持つ、圧倒的な強さだった。

だが、今は違う。今年2月には「以前は誰も前にいなかった。今はいる。当たり前のことですけれど、それははたから見ても違うと思う」と漏らした。16年リオ五輪後はアキレス腱(けん)の痛みに悩まされた。右足に体重をかけられない。「熱いものに触るのにちゅうちょするように。本当は熱くないのに」。片足立ちさえも痛みを怖がり、腰が引けた。痛みが治まってからは、無意識で患部をかばう癖の修正から始めた。

昨秋に練習拠点を慶大から順大に移し、今春から順大大学院でスポーツ医科学などを学ぶ。「昔の自分を全く否定しない。でも、それが全てじゃない」。そう言い聞かせ、集大成に位置づけた東京五輪を追った。

五輪出場には参加標準記録(11秒15)を最低限突破する必要があった。200メートルはエントリーしておらず、100メートル予選敗退で400メートルリレーの五輪代表入りも消えた。レース後、今後について思いを明かした。

「日本選手権前にいろいろ考えている暇もないし、レースに向けてやってきた。ここで何かを考えられるところでもない、という状況でやってきました」

その言葉に、努力の跡がにじんだ。【松本航】

◆福島千里(ふくしま・ちさと)1988年(昭63)6月27日、北海道・幕別町生まれ。帯広南商高卒業後、北海道ハイテクAC入り。17年のプロ転向を経て、18年1月にセイコー入社。五輪3度、世界選手権4度出場。08年北京五輪では日本女子として56年ぶりとなる100メートルに出場。自身の持つ日本記録は100メートル11秒21(10年)、200メートル22秒88(16年)。今春より順大大学院に進学した。