男子110メートル障害決勝で泉谷駿介(21=順大)が日本新記録を樹立し、東京オリンピック(五輪)代表に内定した。追い風1・2メートルの条件下、13秒06で初優勝。前日本記録を一気に0秒10更新する今季世界3位で、19年世界選手権金、16年リオデジャネイロ五輪銀メダル相当のタイムとなった。4月に日本記録を作った2位の金井大旺(25=ミズノ)、3位の高山峻野(26=ゼンリン)も五輪内定。日本勢初の決勝、その先のメダル獲得へ、最高の形で弾みをつけた。

世界の壁に阻まれ続けた種目で、泉谷が未知の領域に入った。日本人初の13秒0台。両拳を力強く挙げると、金井らライバルが肩をたたいてきた。「競技人生で13秒1台を目標にしていた。それを超えて0台が出た。ビックリです」。13秒30の自己ベストを一気に更新し、今季世界3位のタイムが目に飛び込んできた。

冷静だった。自身を含め、五輪参加標準記録(13秒32)を4人が突破。表彰台で五輪内定だが、1つの失敗で漏れる可能性もあった。号砲を聞いて飛び出すと、再びピストル音が鳴った。「自分は絶対に(フライングを)やっていないと分かった。(順大の後輩)村竹が早かったので『ちょっとやばいんじゃないか』と心配しました」。結果的に失格となった後輩を気にかける余裕があった。迎えた2本目。跳び越える動作、ハードル間の刻み、理想通りの流れで駆け抜けた。

神奈川・武相高3年時には「8種競技」で高校総体を制覇。順大に入学後は110メートル障害、走り幅跳び、3段跳びの3種目に注力した。当初、ハードルと跳躍の練習は「5対5ぐらい」。跳躍で鍛えた踏み切りの強さはハードルに生きた。東京五輪に向けては110メートル障害に集中。8つの種目で培った経験を、ハードルでの勝負に注ぎ込んだ。

04年アテネ五輪で中国の劉翔が金メダルを獲得し、アジアの可能性を示した種目。だが日本勢は1928年の五輪初出場以降、90年以上にわたって決勝進出がない。「『スタートはまだまだ』という感じ。五輪で結果を残したい気持ちが強いです」。泉谷が東京で歴史を変える。【松本航】

◆泉谷駿介(いずみや・しゅんすけ)2000年(平12)1月26日、神奈川県生まれ。横浜緑が丘中、武相高を経て、18年に順大へ進学。19年世界選手権代表に選出されたが、現地入り後に右太もも裏肉離れで欠場。今年5月の関東インカレで追い風5・2メートルの参考記録ながら13秒05をマーク。175センチ。

◆五輪男子110メートル障害での日本勢 1928年アムステルダム大会に三木義雄が出場してから、16年リオデジャネイロ大会の矢沢航まで、決勝進出者はいない。最高成績は1932年ロサンゼルス大会での藤田辰三の準決勝2組4着。世界選手権でも決勝進出者はなし。18年6月に金井大旺が14年ぶりとなる日本新の13秒36を出してから一気に記録のレベルが上昇した。