侍ジャパン稲葉篤紀監督(48)が世界に「結束」を示す。延期で仕切り直しとなった東京オリンピック(五輪)へ、新春インタビューに応じた。未知のウイルスで延期となった1年に何を思い、新たな五輪イヤーにどう表現するのか。日本球界の総力を束ねて、臨む。【取材・構成=広重竜太郎】

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昨夏、空想のカレンダーをめくった。「7月29日になったら『今日は初戦だったな』と。8月8日には『今日は決勝を戦っていたな』と、やっぱり思いました」。福島と横浜の地で悲願の金メダルへ、猛暑の中で稲葉監督は指揮していた、はずだった。

だが現実世界は違った。コロナ禍に見舞われ、比較的、清涼な札幌で家にとどまった。職務である視察は、ひたすらテレビを通じて。「でも1年後は、やっているんだなと感じてました」。悲観はせず、21年7月28日の開幕戦、同8月7日の決勝へ、新たに思いをはせた。

「延期となり、また新たに1年、選手を見られる、野球と向き合える時間をいただけた」。19年秋のプレミア12制覇からの流れでは、東京五輪のベースとなるメンバーも大きく変わらなかっただろう。今も根本となる考えは変わらないが、1年間の猶予は選択肢を増やした。ルーキーの選出は現実的ではなかったが、広島森下は2年目を迎え、現実度を増す。DeNA佐野、西武平良も初めて軸として働き、候補選手の大枠のより中央に食い込んできた。ヤクルト村上も進境著しい。正三塁手が不在の中で巨人岡本の存在も気に掛けている。

「日本シリーズでああいう形でやられてしまった。自分の中で何が足りなかったのかもこれで分かったと思う。来年、どういう成長をしてくれるのかというのは、これは非常に楽しみに見たい」

1次ロースターは約180人を提出予定。昨年は約120人だった。コロナ禍でのアクシデントに備えて、招集の可能性のある選手を幅広くリストアップした側面もある。一方で、選択の幅が広がったのも1年間の発見だった。「若い年代も含めていろんな選手が出てきた。いい悩みとして捉えている」。代表の活動はほぼなかったが、自然発生的な底上げは、日本野球の国力とも言える。

強化のヒントは、プロ野球にとどまらない。昨年12月の都市対抗野球決勝戦。例年、夏に行われる社会人野球最高峰の舞台を、ここまで腰を据えて見ることはなかった。

「ああいう熱さはジャパンでも必要。五輪は負けても敗者復活がある中で都市対抗は一発勝負で会社を背負ってやっている。決勝戦をテレビで見させていただいたが、ああいう涙もいろんな思いの中で戦ってきたから。野球、スポーツの良さをあらためて知った」

心打たれるだけでなく、優勝したホンダの木村龍治投手コーチに翌日に電話をかけた。「短期決戦の中でもある程度、セオリーはあるが、セオリーを度外視した守備隊形をやっていた。どういう意図でやったのですか、と相談させていただいた。短期決戦は監督の考え方とかが出るので、面白い。勉強になる」。中京高の先輩から授かった助言も、五輪への血肉となる。

数奇な運命で五輪イヤーを2度迎えた。年初にはテーマとなる1字を選んできた。18年は「学(まなぶ)」、19年は「創(つくる)」、20年は「結(むすぶ)」。あるはずがなかった21年は-。

「束(たば)ねるの『束』です。昨年の『結』は私の最終年で結果を出す、結びの年にすると。『束』は19年のプレミア12で世界一になったが、五輪まで1年半となり、もう1度、ジャパンを結束させる。五輪で国民、野球界の皆さんと結束力を持って、金メダルに向かってチャレンジしたい。またコロナの影響で医療従事者の方々が、大変な思いをされている。我々は感謝の気持ちを持たなくてはいけない。花束を贈る『束』の意味を込めました」

止まった時計の針が動きだす。心を込めて金の花束を、日本の空に掲げる。

◆選考予想 20年に予定通りに開催されていればプレミア12のメンバーがほぼ主体だったと言える。だが1年の延期で青写真は微妙に変化した。千賀との2枚看板を期待される菅野はポスティング申請し、メジャー挑戦が実現すれば、五輪出場は不可能になる。故障による誤算もある。左のエースだった今永は昨年10月に左肩の手術を受けた。開幕には間に合う見込みだが気掛かりだ。プレミア12でセットアッパーで活躍した甲斐野は昨季は故障で1年間、1軍の登板機会がなく、不透明な状況となった。

一方でプラス材料も多い。大野雄は沢村賞を獲得するなど突き抜け、先発の軸になり得る。長年の課題だった正三塁手も、岡本の成長速度が高まっている。昨年はスペシャリストの枠だった周東は打力が向上。内外野をこなせ、外崎と並ぶユーティリティー性を備え、一気に選出の可能性が現実味を帯びてきた。1年半の空白期間で、稲葉ジャパンも化学反応を見せる。