侍ジャパン稲葉篤紀監督(48)が就任4年目で、最も難義な五輪代表24人を選び抜いた。16日、都内ホテルでの会見で内定選手を発表。24人の志士と、五輪舞台に立てなかった、あまたの侍たちの分岐点とは-。選考過程を考察する。

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【185人】

3月上旬に日本オリンピック委員会(JOC)に提出した1次ロースターは12球団の支配下登録の約4分の1にあたる185人。最終メンバー24人は同ロースターからしか選出できず、故障などによる入れ替えも同様だ。人数制限はないため、可能性があるすべての名を連ねることができる。

関係者によると、この時点でのリストには阪神の怪物ルーキー佐藤輝は入っていないという。現状の成績を見れば異論を唱えたくなる。だが2月のキャンプ前に大筋のリスト構想は固まっていた。キャンプ、オープン戦を通じて佐藤輝の底知れない才能は高く評価されていた一方で、1年目からシーズンを通した活躍には穴が指摘されていたのも事実だ。

防御率、勝利数でリーグトップを争うオリックス宮城も185人に入っていないとみられる。昨季途中でデビューし、才能の片りんを示したが、今季2年目で好不調の波が読めないと判断された。

結果的に2人は誰もが想像できなかった覚醒を示した。国際大会での適応力をはかる機会がなかったことはあるが、同じく未知数だったルーキー栗林は手薄な抑え事情がある中で選出された。佐藤輝、宮城が185人に入っていたら、最終選考で頭を悩ませていただろう。

【プレミア12組】

19年11月に世界一に輝いた世界大会は28人で臨んだ。今回、このメンバーから漏れたのは岸、山岡、大竹、山口、今永、甲斐野、高橋礼、嘉弥真、田口、小林、松田、外崎、丸、周東の14人と半分。稲葉監督は大会直後から「プレミア12の選手が土台になる」と言い続けてきた。基本コンセプトは変わらず、山崎、中川、山田はプレミア12での力量、信頼感が加味された部分は大きい。

一方でコロナ禍による変容が確実にあった。故障や不振がなく、20年に予定通り五輪を迎えていたら今永、高橋礼、外崎は選出が濃厚だった。特に打撃面で飛躍を遂げ、昨季、盗塁王を獲得した周東は最終候補に挙がっていた。プレミア12でも代走で局面を変える走塁を見せ、稲葉監督も「スペシャリスト」として采配の広がりを実感していた。最終的には野手13人の枠の中で、専門性の高い遊撃を屈指のレベルで守れる源田が選択された。

【故障】

千賀は4月初旬に左足首の靱帯(じんたい)を損傷した。順調に回復し、今日17日に3軍で実戦復帰予定も、五輪までには時間がさすがに足りなかった。故障さえなければ、先発、抑えの役割をこなせる希少戦力として選出は確実だった。

【重複】

一、三塁を守る岡本和は村上と同じポジションの長距離砲。一定の評価は得ていたが、打撃の好不調の波が大きく、確実性に課題が残った。走力も含めて総合力で村上に軍配が上がった。

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五輪初戦1カ月前に代表発表した北京五輪と比べ、今回の選考そのものはJOCへの提出期限の関係で約2カ月前に行われた。2カ月後の状態を予測することは難しく、安定感のあるタイプ、不振時でもさまざまな面で貢献できるタイプの選手が多く選出された。「24人に絞るのは非常に難しいことだった。この中に入っていないメンバーもジャパンに対する思いを持った選手がたくさんいた」。稲葉監督の言葉が選考の苦慮を物語っていた。【侍ジャパン担当=広重竜太郎】

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