1964年東京オリンピック(五輪)の体操女子団体の銅メダリストで、元参議院議員で国家公安委員長などを務めた小野清子さんが13日に死去した。85歳だった。新型コロナウイルスに感染して治療中だった。体操男子五輪金メダリストの小野喬さんと夫婦で60年ローマ、64年東京と五輪2大会連続出場。2児の母として臨んだ東京大会で体操女子日本史上唯一のメダルを獲得した。86年の参院選に自民党から出馬してメダリスト初の国会議員となり「サッカーくじ法」成立にも尽力した。

   ◇   ◇   ◇

小野さんの訃報に、五輪メンバーからは悼む声が相次いだ。ともにママさん選手の先駆けとなった池田敬子さん(87)は、最近会う機会がなかったそうで「思い出話でもしに来てくれたらよかったのに」と悔やんだ。子連れでの合宿参加を批判され、2人で引き揚げたこともあり「2人は3倍くらい努力した」と振り返った。東京五輪後の出産を経て、68年メキシコ五輪にも出場した中村多仁子さん(77)は「清子さんの姿を見て、自分もできるんじゃないかと思った。どう受け止めていいのか分からない」とショックを隠さなかった。

小野さんと同郷秋田県出身の千葉吟子さん(83)は「器量良しで頭も良い、まさに秋田美人で憧れのお姉さん」。今年の東京五輪で「何かお手伝いしたいねと話していた」という。相原俊子さん(81)は「東京五輪を一緒に見たかった。言葉がない」と声を震わせた。