女性蔑視発言で辞意を固めていた東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が12日、都内で評議員、理事の合同懇談会に出席し「今日をもちまして会長を辞任いたそうと思う」と正式に表明した。4日に開いた謝罪会見以来の公の場。冒頭あいさつで「私の不適切な発言が原因で大変な混乱をきたした。大事なのは7月に五輪を開催すること。私がいることで諸準備の妨げになってはいけない」と頭を下げた。

14年1月の組織委発足と会長就任から7年超。東京五輪を巡る数々のトラブルに対応した。複雑に利害関係が絡む難事業をまとめ上げ「余人をもって代え難い」と称されたが、失言で退場。「この一言でこういうことになった。長い人生83年の中で本当に情けないことを言ったもんだ」。IOCから一時、自身の続投と女性トップを置く共同会長案も提示されたが、留任しては理解されないと拒否。川淵氏を後継に単独指名したが、反対に相談役で残るよう頼まれた流れが「院政」「密室」と批判された。

この日の懇談会も開始から1時間15分で退出。その後に話し合われた次期会長の検討委設置の議論には関わることなく本拠を後にした。盟友の武藤事務総長からも「相談役などの職に就いていただくことは現時点ではない。既定路線のものではない」と断言された。

一時は余命宣告もされた肺がんを克服し、週3回の人工透析を受けながらの就任から2576日。会長として最後の日は、記者会見にも立てない幕引きとなったが、意地は込めた。女性蔑視発言は「解釈の仕方。そういう意図でものを言ったわけじゃない」と否定し「老害と言ってきたが、老人も国のため世界のためにやってきた。老人が悪いような言い方をされるのは極めて不愉快」と力説した。

締めくくりの行動は職員へのメールだった。開催まで「階段数歩のところまで来られました。苦労の数々を思い起こすと、五輪・パラリンピックはつくづく、高い山だなと思います」と退く心境をつづり「大事な時期に、山積する課題を残して職を辞することは、痛恨の極みです。本当に申し訳ありません。大会が大成功することを心から祈っています。7年間、本当にありがとうございました」。組織委オフィスを後にしてから送信した。【木下淳】