日本バレーボール協会が17日、男子代表のオンライン会見で、東京オリンピック(五輪)や国際オリンピック委員会(IOC)のワクチン提供をめぐる質問を制限したという。

最初の感想は「まだ、こんなことしているのか」。そして次に「さもありなん」とも思った。同協会だけではない。最近はあまり経験しなくなったが、競技団体だけではなく、大会やメーカーの会見でも、しばしば質問制限は見られた。

制限する方も、制限される我々報道陣も、若干の抵抗はあれ、ごく普通の感覚で受け流してきた。くさいものにはふただ。それでうまくいくなら、少々の不便はあっても触らない。それが「大人」というもの。あうんの呼吸である。

しかし、それは国内でしか通じない。海外で、そのような制限にお目にかかったことは、ほとんどない。それどころか、制限などしたら、制限した側は、逆に大変なことになってしまう。質問制限が行われるたびに、思い出す海外の例がある。

1つは、女子テニスで、確か96年全米だった。天才少女と言われたカプリアティ(米国)は、燃え尽き症候群で17歳でテニス界から離脱。休養期間中、薬物常習、窃盗で逮捕や入院を繰り返した。しかし、克服し20歳で復帰。そして迎えた全米の会見だった。

席に着いた彼女は、多くの報道陣を前に「私が多くの間違ったことを行ったのは事実。しかし、今は更生に向かって前進している。だから、昔の話はもう聞かないでほしい」と文章を読み上げた。

日本なら、間違いなく美談だ。もう誰も薬物や窃盗のことなど質問しないに違いない。しかし、地元報道陣の最初の質問は「昔というのは、いつのことを言うのか。今のことも明日になれば昔だが」だった。

カプリアティは「自分の薬物や窃盗時代のことだ」と答えた。つまり、更生したのだから、いつまでも蒸し返すなと言いたかったわけだ。すると、ある米国記者は、次のように言い放った。「そんな都合のいいことはできない」。その瞬間、会見場の後ろの席で、わたしはうなっていた。

もう1つ。同じ時期だったような気がする。元女王のグラフ(ドイツ)の父が、脱税や隠し子のスキャンダルにまみれていた。ウィンブルドン期間中の会見で、グラフは、いつもそのことについて聞かれていた。

確か4回戦を終わった後だったか。グラフの会見に、最初、大会スタッフだけが入場し、報道陣に「グラフさんは父の話ばかりで傷ついている。テニスだけの話にしてほしい。大会もそれを支持したいし、守られないならグラフさんは2度と会見に来ない」と通告した。

グラフが入場し、スタッフは、質問のために手を挙げる報道陣の1人を指名した。そして、最初の質問の出だしは「お父さんは…」だった。この時も、会見場の隅で、「人の話、聞いとったんか!」と、わたしは1人でずっこけていた。

海外の報道陣は、決して圧力には屈しない。国民性の違いから、海外での取材は嫌なこともあるが、その姿は本当に素晴らしい。黙ってしまう自身のだらしなさが嫌になる。

そして、それが選手を大きく育てることにもつながるのだと思う。制限をした方は、選手を守ったつもりだろう。しかし、それは、人として自分で何も考えられない選手を育ててしまうのだ。東京五輪について、なかなか自分の考えを日本選手は表明できない。最大の当事者であるにもかかわらずだ。残念で仕方がない。【吉松忠弘】