新型コロナウイルスの影響で来夏に延期した東京五輪は23日、2度目の開幕1年前を迎えた。

自国開催に懸けていた日本選手たちにとって、延期ショックからの再起は簡単なものではない。現時点で日本の五輪内定者では最年少の卓球・張本智和(17=木下グループ)は日刊スポーツの開幕1年前インタビューで、延期を巡る心の葛藤を明かした。

   ◇   ◇   ◇

抜け殻と化した張本は自室にこもり、ただむなしくスマートフォンを操作していた。安倍晋三首相が五輪の1年程度延期を発表した3月24日夜のことだ。日々のニュースを見て仕方ないと言い聞かせていても、いざ延期が決まると「相当ショックだった。1年間待つのかと…。悔しさがあふれた」。

五輪も世界選手権も延期に。「何のために練習をしているんだろう」。目指すものが突然奪われる残酷さを知った。ワールドツアー、グランドファイナル、全日本選手権と最年少優勝を果たしてきた天才も、弱冠17歳。近代五輪124年の歴史で初の延期という異常事態が重くのしかかった。

のちにインターハイや甲子園、文化部の全国大会も中止になった。同世代が涙をのんだ気持ちが痛いほどよく分かる。

「高校生にとって一番大切な大会。その結果次第でプロや社会人への進路が見えて来る人もいたはず。悔しかったと思う」。さらに続けた。「進路に関係なくても、ケガをしてでも甲子園に出たいという思いを見たことがある。本当につらかったと思う」

張本自身は延期決定から2週間、立ち直れなかった。「明確な目標や日程がほしかった」。通常なら毎月のようにあった国際大会が、今はいつ試合があるかすら分からない。両親から「今頑張れば他の選手と差がつく。できることをやって次の試合に備えよう」と励まされ、徐々に五輪や世界選手権(3月→9月に延期→来年2月に再延期)の日程が決まり「やるしかない」と心を奮い立たせた。

コロナがなければ24日、国立競技場に聖火がともり、東京五輪は華々しく開幕していた。卓球会場は国立の隣、東京体育館。満席7000人の声援とスポットライトを浴び、金メダルを懸けて王者中国と激闘を繰り広げていたはずだ。表彰台の頂点にいたかもしれない夏は、卓球場にこもり、ひたすら鍛錬する苦しい夏になった。

対外試合ができない分、「1対2」の新たな練習を取り入れた。卓球にシングルス、ダブルスはあるが無論、そんな種目はない。高速卓球の張本が1人で2人を相手にする規格外のメニューで、さらなるスピードを追求する。全ては延期した五輪で金を取るため。

「今までとは違う特別な五輪。もし金メダルが取れたら日本、地元宮城の方々に、つらい時こそ頑張ることで目標が達成できるというメッセージを送れるかもしれない」

一方で「中止になるかも」と心に保険をかけている。延期決定時を超える心痛を受けないように。「選手としては開催してほしい。でも開催で(感染)状況が悪くなるようなら、仕方ないのかな」。半信半疑。それでも体を追い込み、いじめ抜く。1年後が不確かでも、信じてラケットを振り続けるしかない。【三須一紀】

◆張本智和(はりもと・ともかず)2003年(平15)6月27日、仙台市生まれ。家族は元選手でコーチの父宇さんと、95年世界選手権中国代表の母凌さん、卓球女子の若手のホープ妹美和(12)。両親が98年に中国・四川省から仙台へ移住。14年春に国籍変更。18年1月の全日本では男女を通じ史上最年少の14歳208日で初優勝。同12月、ワールドツアーグランドファイナルでも最年少優勝。昨季を世界ランキング日本人1位で終え、東京五輪シングルス、団体戦の代表に内定した。現在は同ランク4位。175センチ。血液型O。