17年世界選手権王者の高橋侑希(27=山梨学院大職)が16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)銀メダリストの樋口黎(25=ミキハウス)を破り、初の五輪出場を決めた。試合直前には「以前は勝ちたい気持ちが強かったが、今は負けたくない気持ちが強い。どんな内容であろうが、どんなに泥仕合になろうが(勝つ)」と決意を語っていた。

新型コロナウイルスの現状を鑑み、都内のNTCで関係者が見守る中で開かれた大一番。第1ピリオドは両者が頭をつけ、懐を深く保っての探り合いが続いた。先に樋口の消極性が重なり、1ー0と先制。そのまま折り返しとなった。

第2ピリオドは樋口に先に動かれた。左脚への片足タックルで食い付くように捕まえられ、がぶったが粘られた。1点は取ったが、バックにつかれて2-2。この時点でビッグポイントの差でリードを奪われた。

残りは1分30秒ほど。再び樋口が攻勢に出てタックルで片足を狙われたが、今後はがぶりからあおむけに返して2点を奪取。4ー2として逆転した。その後も激しい攻防を繰り返したが、残り5秒を切ったところで、樋口の足が止まる。勝利を確信したように大きく両手をたたき、初の五輪切符をつかんだ。

5年前の雪辱を果たした。リオデジャネイロ大会がかかった15年世界選手権で9位に終わり、五輪切符を逃した。同年末、アジア予選代表がかかった全日本選手権で3回戦負けし、そこで優勝した樋口がアジアで切符を獲得し、そのまま銀メダリストになった。

自力で届いたはずの五輪の舞台。当時を「代表の重みを感じていなかった。その自覚がなかった」と振り返る。山梨学院大の4年生は、世界選手権で五輪切符を取れなくて頭を頭を丸める先輩の姿を見て、「期待を裏切ってしまった」と気づく。そんな心持ちだった。猛省もあり、リオ五輪は「見ていない」。ただ、強くなるために、日本で合宿中だった。「まだまだ足りないと思っていたので。それが割り切れていたので、そんなに悔しくなかった。自覚も覚悟も足りなかったから逆に割り切れた。しょうがない。まだ足りなかったと」。

それから4年後の19年、再び五輪切符がかかった世界選手権に臨んだ。結果は10位。同じ轍(てつ)を踏んだ。今度は悔恨大きく、さらに同年末の全日本選手権では、決勝で樋口に敗れた。アジア予選行きも逃し、もう五輪に縁はないのだとまで思った。

ただ、リオとは、そこからが違った。樋口がアジア予選で計量失格。5月の世界最終予選の出番が回ってくると、しっかりと出場枠をつかんできた。5年前、自覚も覚悟も足りなかった自分とは違う。その姿を見せるために、今度は樋口の後塵(こうじん)を拝するわけにはいかなかった。

「気持ちが強くなった。どん底まで落ちたので、これ以上つらいことはないだろうなと。生きていく過程で、これ以上苦しい経験ないなと味わっている。それは強みになっている」。母国の舞台で、その強さをみせる。